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メールマガジン「法円坂」No.180(2016/5/16)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)



 九州の震災は甚大な被害をもたらしました。大阪医療センターはDMATや
医療班を派遣するなどできる限りの医療支援を行ってきましたが、被災した方
々の困難な生活はまだまだ続いているようです。一刻も早い復興をお祈りいた
します。
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   メールマガジン「法円坂」No.180(2016/5/16)
          (独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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今月号の目次
 ・院 長  是恒 之宏 です
 ・新任のご挨拶 
 ・平成28年度を迎えあらためて
 「ボランティアコーディネーターの意味と役割」を考える 
 ・看 護 の こ こ ろ
 ・研 修 医 日 記


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      院 長  是恒 之宏(これつね ゆきひろ) です       
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 私の専門領域について

 今日は5月14日、晴天で湿度も低く清々しい陽気です。院長室からは、目
の前に発掘調査現場が広がっているのが見えます。雨が降るたびに作業が中断
しますので今年ばかりはあまり降らないでくれ、と勝手なことを思ったりしま
す。

 さて、今回は私の専門領域についてお話しましょう。前回にも申しましたと
おり、昭和54年卒業の循環器内科医ですが、卒業してすぐに大阪大学第一内科
に入局し、初期研修医を一年間大学で行いました。2年目からは大阪警察病院
の心臓センターでお世話になりました。長は児玉和久先生でしたが、卒業生は
皆感謝しております。また、カテーテル検査を1から教えていただいた南都伸
介先生、三嶋正芳先生には一生頭が上がりません。ここで3年間貴重な臨床経
験を積んだ後、大阪大学に戻り1988年からジョンズホプキンス大学へ留学しま
した。この時は核磁気共鳴スペクトロスコピー(MRS)を用いた種々の病態に
おける細胞内カルシウム動態の研究を行っていました。1990年に大学に戻り病
棟のお手伝いをする中で心臓移植の症例検討会が始まりました。当時内科部門
で心臓移植の臨床を知る者がなく、誰かを勉強に行かせるということになり、
私が1992年3月より半年の間ユタ大学心臓移植プログラムで研修をすることに
なりました。ユタ大学心臓移植プログラムは内科が中心のチームであり、移植
前の重症心不全患者の診療、移植翌日から免疫抑制剤治療とフォローはすべて
内科が行っていました。半年の間に、ちょうど20例の患者さんが移植を受け
られました。その中には日本から布田先生(当時国立甲府病院)が連れてこら
れた小児の渡航移植もあり、日本では決して経験することのできない貴重な体
験をすることができました。心臓移植の患者さんは心臓を取り替えるわけです
が、これまでの重症心不全が嘘のように解消されるので精神的にもすごく前向
きになられることが多いのです。その時、心臓移植というのは「こころ」も変
えてくれるような素晴らしい医療であることを実感し、日本で当時まだ行われ
ていなかった移植をなんとしてでも開始しなければいけないと思いました。
 半年の2回目留学の後、阪大に戻り、病棟の副主任、主任を勤めた後1997年
7月に現在勤務しております国立大阪病院に来ることになりました。心臓移植
がおこなわれたのはそれから約1年半ほど後になります。

 今日はこのぐらいにして、次回国立大阪病院から国立病院機構大阪医療セン
ターに渡る約20年間の話を続けることにいたします。              
   


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       新 任 の ご 挨 拶         
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						統括診療部長 三田英治

 本年4月1日付で統括診療部長に就任しました三田英治です。就任に当たり、
皆様にごあいさつさせていただきます。

 私は昭和35年6月7日生まれの55歳です。出身は京都市、ヴィアトール学
園洛星高校の22期生で、昭和60年に大阪大学医学部を卒業しました。当時
の大阪大学医学部第一内科に入局し、以降消化器内科医として歩んでいます。
 専門分野はウイルス性肝炎と肝細胞癌の治療です。特に当時非A非B型肝炎と
呼ばれていたC型肝炎ウイルスが平成1年に発見されてからは、分子生物学的手
法を用いてC型肝炎の治療効果予測を研究し、患者さんに最適な治療方法を示す
ことができました。そのC型肝炎も飲み薬だけでウイルス排除できる時代を迎え
ました。ただ肝炎検査を一度も受けたことがない方も多く、このメールマガジ
ンを読まれたことがきっかけで、肝炎ウイルス検査の受検者が増えることを願っ
ています。

 当院には平成18年4月1日に赴任しましたが、その日から電子カルテが本格
運用され、パソコンと格闘していたことが思い出されます。当院に赴任後は国立
病院機構の38病院で組織しているネットワーク共同研究の主任研究者として、
B型肝炎に対する飲み薬の治療効果と安全性をまとめています。B型肝炎は完全排
除のむずかしい病気ですが、ほとんどの患者さんが飲み薬だけで病気の勢いを鎮
静化できる時代に入り、医学の進歩を実感しています。

 現在、消化器内科科長、総合診療部長も併任しており、日常診療で皆様の健康
維持に貢献すべく、日夜働いています。今後は統括診療部長として、各診療科の
連携を強化し、病院の健全な運営、特に医療安全の徹底に邁進したいと思います。
 また病院の建て替えに向け、職員一丸となった意識の向上にもつとめたいと考
えています。今後も皆さんの目線に立った医療ができるよう一生懸命頑張ります
ので、ご支援とご協力をお願いいたします。                     
      


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    平成28年度を迎えあらためて
    「ボランティアコーディネーターの意味と役割」を考える      
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                    ボランティアコーディネーター
                    藤本 和彰

 2016年3月15日、NPO法人・日本病院ボランティア協会(NHVA)
主催による定例研修会、講演「病院ボランティアの10年後をイメージする」&
ワークショップが開催され、大阪市立社会福祉センター3階会場には、近県をは
じめ多くの病院ボランティア・職員・ボランティアコーディネーターなどが参加
されました。

 最初に斉藤 悦子氏(日本病院ボランティア協会副理事長)ご講演「病院ボラ
ンティアの10年後をイメージする」を拝聴し、そしてワークショップが開かれ
ました。
ワークショップのテーマは8つ。私が参加したグループは、8つの中から6番目
のテーマ「今も今後も病院ボランティア活動に大切なことは何だろうか?」を選
択、短い時間の中で、活発な意見交換や発表が出来ました。私自身が持つべき「
ボランティアコーディネーターの意味と役割」についても、あらためて考えさせ
られた時間でもありました。
 大阪医療センター ボランティアグループ「法円坂」は、平成9年(1997年)
1月に導入され、今年20年目を迎えています。途中諸事情により、ボランティ
アのメンバーは大きく変化しながらも、少数(8人)ではありますが、導入時よ
りずっと活動して下さっている方もおられます。
 その間、幾度となく受け入れ側(病院)も変化しています。そのような変化の
中に、ボランティアコーディネーターの役割があります。
 一口に受け入れ側といっても、医師・コメディカル関係や、看護部・事務部関
係など組織体制により、ボランティアへの理解や認識がまったく異なることがあ
ります。またボランティアの受け入れや対応についても異なることがあるのです。
そして、外来や入院病棟といった活動場所でも異なるのです。
 また、病院長(副院長)や看護部長(副看護部長)、看護師長といった役職者
が異動すると理解や対応が変化する場合もあります。したがって病院側の様々な
関係者に病院ボランティアへの理解を浸透させ、良好な受け入れ態勢を整え、活
動が持続して展開できるようにすることが、ボランティアコーディネーターの一
番の役割といえます。
 ボランティアグループ側にも課題はあります。病院ボランティア活動を発展さ
せるためには、ボランティア個人が個々に資質を向上しながら、ボランティア同
士が相互に支援し合う仕組みが必要になります。ボランティア一人ひとりの意見
を吸収しながら、ボランティアグループとしてのしっかりとした意見やビジョン
を持って、受け入れ側と協働しながら作れるようになることが重要です。
 ボランティア活動がほとんどの場合、週に一度の活動(基本)となるため、曜
日が違ったり、活動場所が異なれば、ボランティア同士の交流や連携も日常的に
難しくなります。このようなボランティア同士の交流と連携を図ることも、ボラ
ンティアコーディネーターの役割の一つです。また個々に活動するボランティア
が何らかの問題や課題に接したときに、相談したり、アドバイスしたり、様々な
資質の向上を担うのもコーディネーターの役割なのです。

 平成28年度、病院長をはじめ、副院長や看護部長など役職者に大きな異動が
ありました。したがって病院側の様々な関係者に病院ボランティアへの理解や認
識が異なることがないように、良好な関係を維持することが重要です。
 このような「病院側とボランティアをつなぐ」重要なボランティアコーディネ
ートのためにも、受け入れ側(病院)の事情と、ボランティア側の事情の双方を
良く理解したうえで、活動がスムーズに行えるように、両者をつなぎ、活動の調
整を行うことが、コーディネーターの最も重要な役割だと考えます。
 患者さんへのよりよい医療の提供、地域の人々等が利用しやすい病院にできれ
ば素晴らしいことだと思っています。ボランティア・患者さん・病院職員との三
者協働、ボランティアと病院職員とをつなぐ懸け橋となり意思疎通をますます密
にし、利用しやすい病院つくりのお手伝いをしたいと考えています。


◆メルマガご愛読の皆さま、大阪医療センターでは病院ボランティアを募集して
います。
 病院で自ら進んで労力、時間、技術などを提供して、患者さんにやさしさとう
るおいを提供すると共に活動を通じてボランティア自身の成長にも役立つことが
できる活動です。資格は特に要りません。自分自身が健康であり、優しさと何事
にも積極的に取り組む気持ちがあれば活動できます。また、活動回数は、個々の
ライフスタイルに応じて決めていただいています。服装は活動しやすい服装でい
いですが、ピンクやブルーのエプロン・胸章など用意しています。
一緒に活動しませんか。ボランティアを希望されます方、お待ちしています。
管理課ボランティア担当までご連絡ください。

電話番号 → 06-6294-1331(代表)
ボランティアホームページ → http://www.onh.go.jp/volunteer/


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      看 護 の こ こ ろ        
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			          救命救急センター 救急看護認定看護師 
                                   山下 寿美子

 初夏の風もさわやかな今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
 私は救命救急センターに勤務し9年目の春をむかえました。救命救急センター
には突然の受傷により、日々患者さんが緊急搬送されてきます。
Aさんも突然の受傷により搬送されてこられてきた1人でした。60代男性で、元気
で仕事もされていましたが、突然の受傷により生活環境が変化してしまいました。
受傷直後はしばらく、意識もはっきりとせず体にはたくさんの管が入り生命の危
機さえありました。ですが、スタッフ一同回復に向けてのサポートを続け徐々に
ではありましたが、意識もしっかりと戻り食事ができるまでになりました。
 そんなある日、「俺はまだ若い奴にまけんと仕事頑張ってきた、まだ負ける気
はない。でも、こんな風になって情けないし辛い。もう嫌や」と突然涙されるこ
とがありました。私は、重篤な状態から順調に回復されていたのでどうしたのか
と思い、ゆっくりと話を聞くことにしました。Aさん自身の体は回復してきてい
ましたが、一日のうちの殆どをベッド上で過ごされ思うように動けないジレンマ
や、入院期間も長期化することで社会と断絶された思いにストレスを感じていま
した。私はAさんが、その様な思いをもたれているとは思いませんでした。少し
でもストレスが緩和できるように医師と相談し屋上へ散歩に行く許可をもらいま
した。Aさんは久しぶりに外の空気を感じることができ、「気持ちよかった、あ
りがとう」と言ってくださいました。私は、Aさんの思いに気付くことが出来ず、
申し訳ないという思いでいっぱいでした。しかし、元気になった患者さんの思い
を聞かせてもらえた嬉しさも同時にありました。その後、部屋の前を通るときに
は必ず声をかけ、Aさんが孤独な思いにならないように心掛けるようにしました。
その後もなかなか回復しないことへのジレンマを訴えられることがありましたが、
その都度傾聴し、出来るようになったこと目を向けられるように声をかけるよう
に努めました。そして無事に一般病棟に移られ、退院する時には「歩けるように
なったで、やっと帰れるわ」と笑顔で挨拶にきてくれました。その時の嬉しさは
今でも鮮明に残っています。

 私のなかで命が助かり、回復過程にあるため大丈夫という思いがありました。
また、救命救急センターでは面会時間や面会者に制限があり、そのような環境で
はより孤独を増強させてしまうと実感させられました。緊急搬送直後は、痛みな
どの身体的な苦痛、回復過程では今後に対する不安など精神的苦痛があることを
Aさんから教えて頂きました。
 思いを声に出せる患者さんばかりではないため、患者さんが今何を思っている
のか感じとれるように五感を働かせ、患者さんに寄り添った看護が出来るように
これからも頑張っていきたいと思います。


ホームページ→http://www.onh.go.jp/kango/kokuritu.html


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          研 修 医 日 記
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                     研修医2年目 伊藤 孝助

 期待と不安を持って昨年の春に入職し1年間が経過しました。当院での初期
研修の1年目は主にメジャー科といわれる科をローテートしました。医学部の
6年間で学んだ知識を実際の臨床に生かすことの難しさを実感しながら研修の
日々を過ごしています。
 研修医が各科をローテする意味というのはどこにあるのかを最近よく考えて
います。救急の疾患を救急外来で適切にコンサルトとする力と将来的に病棟の
当直をすることになった際に多岐にわたる病棟患者の対応の2点に集約される
のではないかと思います。
 特に印象深く、勉強になった科は総合救急部での研修でした。当院では救命
センターがあるために多岐にわたる重症疾患の患者さんが搬送され、その初期
対応や患者管理を学ぶことが出来ました。この経験は自分自身の対応できる疾
患の幅が広がったことを実感できました。切羽詰まった状況下で適切に判断し
医療介入していくことは知識、経験が必要になってきますが上級医の判断の元
に勉強できたこの経験は将来的に非常に生きてくると感じることが出来ました。

 また各科をローテートしている際にも救急で入院になった方がその後どのよ
うに治療、管理されていくのかを学ぶことができるのは当院が各科で専門性が
保たれているからだと感じています。

 また当院では研修医の同期が15名もいるため研修中の悩みの相談や、時に
刺激を受けることも多くモチベーションを保ちやすい環境がそろっています。
2年目となり新しい研修医の先生方が入ってくるため、少しずつ教えるという
こともやっていかなければならない現状になり、責任と自覚を持ちながら2年
目の研修を行っていこうと思います。


臨床研修のホームページ→http://www.onh.go.jp/kensyu/index.html


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総編集長:病院長 是恒之宏
編 集 長:副院長 中森正二、関本貢嗣
     看護部長 伊藤文代 
編   集:百崎実花
発  行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
         (〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
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 大阪には松屋町筋付近を通って南北に上町断層が走っており、地震源として
警戒されています。万一の震災への備えを国や自治体がHPなどで解説してい
ます。是非ご一読されることをお勧めします。

メールマガジンのご感想をお聞かせ下さい。
www-adm@onh.go.jp

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