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メールマガジン「法円坂」No.253 (2022/5/17)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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令和4年5月のメルマガです。風薫るさわやかな季節となりました。新型コロナ
ウイルス感染第6波による大阪府の重症新規患者数は確実に減少してきましたが、
新規陽性者報告数は下がりきらず、皆様いまだ不安な日々を送られていると思い
ます。
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メールマガジン「法円坂」No.253 (2022/5/17)
(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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今月号の目次
・院 長 松村 泰志
・口腔外科科長 就任のご挨拶
・総合診療内科就任のご挨拶
・看 護 の こ こ ろ
・研 修 医 日 記
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院 長 松村 泰志 日本の歴史を学んで(その1)
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私は、日頃の運動不足があり、コロナ感染がピークを越したことから、なるべ
く電車で通勤するようにし、電車の中で読書を楽しんでいます。本屋に立ち寄っ
たところ、百田尚樹さんの[新版]日本国紀が積み上げられていました。中学生の
時以来、日本史を学び直すことはなかったですので、読んでみることにしました。
内容は、多くの文献を調べて、分かりやすくまとめられており、私が知らなかっ
た史実も多く、大変興味深いものでした。改めて、自分が生まれた国の歴史を学
ぶことの大切さを感じることにもなりました。学生時代に歴史を学んだ時は、史
実を細かく理解し、記憶することに努めていました。私は、医療情報を専門とし
ていますが、システムをデザインする際は、細かな運用を調べながらも、これを
抽象化することに取り組んでいました。一つのプログラムモジュールで、できる
だけ広い範囲をカバーさせるためです。歴史においても、共通するパターンを見
出すことができると、過去から学ぶことが多くなるように思います。そんなこと
を考えながら、この本を読んでいました。今回の記事では、この本から学んだこ
とを、まとめたいと思います。
総括的に日本史を眺めますと、日本は不思議な国であると感じます。神話なの
か史実なのかが分からない神武天皇による大和政権の樹立から、国王、後に天皇
は、万世一系とされ、今日に至るまで続いています。平安時代の中期頃から、天
皇は象徴的な立場となり、政治の実権は別の立場の者が担っていました。この構
図は、日本の最も特徴的なことであると思います。
6世紀後半から飛鳥地域を都とし、聖徳太子の時代に十七条憲法が制定され、
天智天皇による律令が制定されるなど日本の骨格が作られ、日本という国名が使
われるようになりました。日本は「太陽が昇る国」を意味し、男子の呼び方の彦
は日子、女子の呼び方の姫は日女、つまり太陽の子からきています。当時は、土
地は公有を原則とし、6歳以上の人民に口分田が与えられていました。飢饉と疫
病に苦しむ時代があり、710年藤原京から平城京に遷都しました。人口が増加し、
口分田が不足したことから、三代土地を所有できる三世一身法が施行されますが、
それでも荒地が放置された状態であったことから墾田永年私財法が施行され、土
地の私有化が認められました。これにより貴族や寺社が大がかりな開墾を進め、
広い土地を管理するようになりました。この時代は不安定で、政変、天然痘の流
行があり、聖武天皇は740年平城京を出てから遷都を繰り返し、この時に大阪医
療センターの東隣にある難波宮を一時都としました(難波宮は飛鳥時代にも一時
都となっていました)。国分寺・国分尼寺を建て、大仏を作るなど、仏教を広め、
光明皇后は悲田院(孤児院)や施薬院(病院)を作りました。しかし仏教の振興
は寺院の力を強めることとなり、これを嫌った桓武天皇は長岡京を経て794年平
安京に遷都し、地方を郡司が治め、その上に国司、さらに国司を監査する勘解由
使を配置する体制を引きました。平安時代は比較的落ち着いた時代となり、日本
的な文化が発展しました。藤原氏を代表する貴族が力を持つようになり、政治の
実権を握るようになります。一方、私有地を守るための武装集団である武士が登
場します。その中で有力な一族が平氏と源氏でした。1156年崇徳上皇と後白河法
皇の争いである保元の乱、その後の平治の乱で勝利した平清盛が力を持ち、武士
が台頭する時代となりました。平氏は圧倒的な力を持ちましたが、地方の武士の
不満が募り、これらを束ねて力を持った源頼朝が平氏を滅ぼし、1192年鎌倉幕府
を樹立しました。しかし、源氏は3代で途絶え、その後北条家が鎌倉幕府の実権
を持ち、北条義時が承久の乱を制した時から、武士が実質的に全国を支配する時
代になっていきました。鎌倉幕府は、御家人と非御家人を区別し、御成敗式目を
制定し、御家人から選ばれた守護と地頭を配置して地方を治めました。また、貨
幣経済が発展し、治水や開墾技術が進み農地が増え、社会が大きく発展しました。
転機が訪れたのは元の襲来でした。1274年の文永の役、1281年の弘安の役では北
条時宗が良く闘い、元の侵略を防ぎました。しかし、この戦いは、鎌倉幕府を支
えていた御家人に大きな犠牲を強いることになり、時宗が早くに逝去したことも
あり、鎌倉幕府は衰退していきました。再び、平安末期と同様の政争が起こり、
最終的に制したのが足利尊氏でした。尊氏は1338年に征夷大将軍に命じられまし
たが、その後も政争は続き、南北朝時代となり混乱の時代が続きました。1392年
南北朝を統一したのは3代目の足利義満でした。義満は強大な力を持ち、室町幕
府が樹立しましたが、その後は、徐々に力を失っていきました。1476年応仁の乱
が11年間続き、室町幕府は形骸化していきました。一方、地方では守護大名が力
を持ち、その間で勢力を争い、力の強い者が大名になる戦国時代となりました。
ここで織田信長が勢力を伸ばし、豊臣秀吉が引き継ぎ、1590年全国を制圧しまし
た。秀吉の死後、後継者争いとなり、徳川家康が勝利し、1603年徳川幕府を樹立
させました。家康は武家諸法度を制定し、全国の大名を管理下に置き、親藩や譜
代大名から優秀な人材を老中として政治を執り行うなど、盤石の体制を引き、そ
の後260年続く安定した時代を築きました。3代目の家光の時、島原の乱が起こっ
たことがきっかけとなり、鎖国政策が取られるようになり、外国との交流を厳し
く管理するようになりました。こうして、安定した社会基盤の上に、日本独自の
文化が築かれていきました。元禄期の勘定奉行であった荻原重秀は貨幣改鋳によ
る金融緩和策をとり、元禄の好景気をもたらしました。また、寺子屋により教育
も施され、識字率は高く(江戸での就学率は70~80%)、多岐に渡る書物が教材
とされ、武芸、柔術も取り入れられるなど、教育レベルは高かったようです。ま
た、都市の上下水道の整備や、街道の整備など、インフラが整備され、人の行き
来が頻回となりました。漁業、林業、鉱業が発展し、その流通を担った豪商が現
れました。十代家治の在位中、田沼意次が抜擢され、商業振興策へと転換を図り、
貿易を拡大する等様々な新規事業を興し、商人から冥加金(事業税)を取りまし
た。荻原重秀、田沼意次と、現在の視点では優れた経済学的センスを持つ人が日
本をリードした時期がありましたが、その次には、古い考え方に固執するリーダ
が良い芽を潰してしまい、江戸末期には、幕府は経済的には落ち込んでいました。
1853年ペリーが率いるアメリカ軍艦が浦和に来航したことから開国か攘夷かで国
を2分する騒動となり、幕府軍が長州・薩摩軍に敗れたことから徳川慶喜が大政
奉還し、徳川幕府が終わりました。
ここまでで上巻が終わります。ここまでの日本史を振り返りますと、聖徳太子・
天智天皇、桓武天皇、源頼朝・北条義時、徳川家康・家光は、地方までも含めた
治世のための制度を作り日本を治めました。一方、藤原道長、平清盛、足利義満、
豊臣秀吉は絶対的な権力を持ちましたが、その死後、その一族の支配は衰退して
いきました。平安時代の後期から鎌倉幕府が樹立するまでと、室町時代から徳川
幕府が樹立するまでの時代には類似するシナリオがあります。鎌倉幕府と徳川幕
府とは、拠点を都でない地に置き、地方を治世し、落ち着いた時代を作った点、
外国からの侵略の防衛が衰退のきっかけとなった点で類似しています。治世者が
中央を治めることに集中し、地方の治世に目を向ける余裕がなかった時には、
その治世は持続しませんでしたが、地方を治めることに成功した政権は長続きし
ました。政治が安定した時、おそらく国民が安心したことで、日本の経済、文化
が振興しました。平安時代には、仮名文字の発明、鎌倉時代には貨幣による取引、
江戸時代には食文化、浮世絵等の出版文化、歌舞伎等、今に通じる多くの日本文
化が花開きました。
上巻には飛鳥時代から江戸時代までの約1300年の歴史が、下巻には明治時代か
ら今日までの150年の歴史がまとめられていましたが、ページ数はほぼ同じでし
た。近代ほど資料が豊富にあること、百田氏が近代日本史に関心が強いことによ
るのだと思いますが、時代の進むスピードが近代になって速くなっていることも
あるように思います。世界の人口が産業革命以後に急速に増加しており、1800年
代から、違うモードで世界が動き出し、日本もこの動きに巻き込まれていったよ
うに感じます。
下巻のまとめは、次月とさせていただきます。
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口腔外科科長就任のご挨拶
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口腔外科科長
吉本 仁
4月に口腔外科科長として赴任しました吉本仁です。私は母校である大阪歯科
大学を卒業後は大学院へ進み、また大学病院で口腔外科の門をたたきました。よ
り専門性を求めて栃木県立がんセンター頭頸科、Londonにある口腔癌の専門病院
であるGuy`s hospitalで修業をおこない口腔癌を専門にしております。また2018
年に守口市にあります松下記念病院に口腔外科を立ち上げ部長として口腔外科診
療に従事しておりました。大阪医療センター口腔外科でも専門的知識、技術を活
かし医療活動に精進していきたいと思っております。私が目の敵にしている口腔
癌は日本での発生率が癌全体の2%程度で、いまだに認知度が低いのが実情です。
それゆえに専門機関を受診する時には進行している場合が多く、それ故に治療が
困難な癌のひとつに挙げられています。また口腔癌の治療をおこなっている施設
もあまり多くありません。大阪医療センター口腔外科は口腔癌を中心に顎顔面領
域の外傷、重症口腔感染症の治療を主にしておこなっております。また外来では
街の歯科医院では処置困難な埋伏歯の抜歯や顎骨嚢胞の小手術をおこなっていま
す。当科では基本的に虫歯の治療や義歯の作成等の「歯科治療」はおこなってお
りません。歯科治療が必要な場合には、かかりつけ歯科医院や近隣の歯科医院へ
紹介させていただく事になります。口腔癌が比較的初期に発見されるのはほとん
どが街の歯科医院で指摘を受けて専門機関を受診するケースです。口腔癌の早期
発見、早期治療の観点からも、かかりつけ歯科医院を持ち、定期健診や歯石除去
のために数か月に一度は歯科医院を受診いただくことも啓発しております。
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総合診療内科就任のご挨拶
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総合診療科
勝田 充重
初めまして。2022年4月に総合診療科の常勤医師として大阪医療センターに赴
任いたしました勝田充重(かつだみつしげ)と申します。まず、簡単に自己紹介
をさせていただきます。
私は2001年(平成13年)に帝京大学医学部を卒業し、沖縄県浦添市にある浦添総
合病院で2年間初期研修医として、引き続き3年間消化器内科後期研修医として
研修いたしました。その後1年間の消化器内科スタッフ医師として勤務しており
ました。消化器内科スタッフ医師として勤務していた際に、全身管理や救急的要
素が今後自分の医師人生においてとても重要であると痛感する出来事があり、同
病院の救命救急センター 救急集中治療部に異動しました。救急集中治療部で3
年間の勤務を経て、大阪医療センターで勤務することになりました。
消化器内科では、胃・小腸・大腸の消化管疾患、肝臓疾患や胆膵疾患を中心に
勉強しておりました。また、救急集中治療部へ異動後も週1回は内視鏡検査や治
療に関わり、継続して修練しておりました。救急集中治療部では、急患の離島救
急ヘリ搬送に加えドクターカーやドクターヘリによるプレホスピタル、重症患者
の全身管理や治療、体外循環装置ECMOの管理、重症COVID-19肺炎の治療に従事し、
アメリカ型ER診療で日々スタッフ医師や研修医、薬剤師やリハビリ、栄養士、数
多くのコメディカルの方とともに治療に当たっておりました。
さて、大阪医療センターとのつながりについて少しお話させていただくと、実
は私が生まれたのは、ここ大阪医療センター(旧 国立大阪病院)であります。
さらに、総合診療科の中島先生と城東区で開業している父とのご縁もあり今回赴
任することとなりました。これも何かの縁であり原点回帰と考え日々精進したい
と思います。
私が専門としております分野は、消化器内科、集中治療、救急でありますが、
以前の職場で一般症例として肺炎や尿路感染症などの治療にも従事していたため、
その経験を生かして地域の医療および研修医の教育に少しでも貢献できればと考
えております。
現在もCOVID-19が蔓延しておりますが、それに並行して様々な治療を要する患
者さんが日々当院を受診しておられます。総合診療の診察や治療を要する患者さ
んを、可能な限り診療できますように、まだまだ微力ではありますが尽力いたし
ます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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看 護 の こ こ ろ
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ICU 副看護師長
宮下 大介
風薫るさわやかな季節、新年度が始まってはや1ヶ月、皆さまにおかれまして
は、新しい生活にも少しずつ慣れたころでしょうか。
私は2007年にICUへ入職し、救命救急センターICU、CCUを経て、2022年1月にIC
Uへ副看護師長に昇任となりました。今まで生命の危機状態にある患者・家族と
の関わりは数えきれないほどありますが、その中でも心に残っている1つの事例
を挙げます。
患者は大動脈解離で救急搬送・緊急手術をされ、ICUに入室しました。人工心
肺からの離脱が困難であり、また手術のために切開した胸骨が閉鎖できないほど
全身の浮腫が著明な状態でした。手術は無事終了しましたが、いつ急変してもお
かしくない状態で油断は許されず、患者の外観も変化し、顔面も術前の状態を想
像できないほどむくんでいました。術後、家族が面会しましたが、何も言えない
妻、涙される娘、近寄ることもしない息子など、それぞれ様々な反応でした。医
師からの説明はありましたが、家族は何がわからないのかわからない状態であり、
現状を理解しようとするのに必死でした。妻はほぼ毎日面会に来られ、現状を知
りたいといったニードが高く、看護師としては、家族が患者に会えていない間の
状態やちょっとした変化を説明し、少しでも安心材料を提供できるように声をか
け、不安・疑問点がないか確認し、家族に寄り添い、心身状態を労うことを心掛
けました。しかし、患者の状態が回復傾向に向かったと思えば不整脈が出現した
り、尿が出なくなったり、多臓器不全状態に陥ったりと、不安定な状態が続きま
した。そのような患者・家族に対してできる看護は何か、早期回復のために必要
な看護は何かをICU内で日々カンファレンスを行い、看護実践を行っていきまし
た。術後1ヶ月ほどすると徐々に回復し、全身の浮腫も軽減し、家族も術前のよ
うな顔に戻ってきたと、回復を実感できるようになってきました。しかし、意識
レベルの回復が悪く、開眼はするが目の焦点が合わない状態が続きました。そん
な患者に対して、意識レベル回復のためにリハビリを日々継続したり、何をする
にも声をかけたり、家族面会時にも声かけを行ってもらいました。そんな中、職
場の上司が会いたい、家族も会わせてやりたいといった思いが強く、リクライニ
ング車椅子に乗って1階ロビーまで散歩にいく機会を作りました。その際に生ま
れたての孫や上司に合うと患者に少し笑顔が見られました。その後も状態は安定
し、一般病棟へ転棟することができました。そして数週間後に患者を訪ねると、
テレビを見ながら過ごされ、会話もスムーズにでき、ICUでは想像できないよう
な患者がいました。ICU滞在中の記憶はないとのことでしたが、私はとても嬉し
く、自分たちが行ってきた看護は間違いではなかったのだと思うことができまし
た。
ICUでは生命の危機状態にある患者が多く、必ずしも全員が回復できるわけで
はありませんが、チームがあきらめずに患者のためにできること、必要なことを
継続して行うことが大切だと学ぶことができました。また、一刻も早くこのコロ
ナ禍から脱却し、マスクなしでロビーまで散歩に行ける時代に早く戻ってほしい
と願うばかりです。
ホームページ→https://osaka.hosp.go.jp/kango/index.html
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研 修 医 日 記
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初期研修医 1年
榎 迪洋
大阪医療センター初期研修医1年目の榎迪洋と申します。研修医として1年間働
く中で感じた当院での研修の特徴について、簡単ではありますがお伝えできれば
と思います。
まず各科での研修についてですが、当院は診療科が多くそれぞれの科を比較的
長い期間ローテートします。選択期間は4か月とやや短くなってしまいますが、
その分自分の志望以外の科についても理解を深めることができると思います。業
務量や手技への参加はある程度自分の意志で決めることができるため、忙しさの
調整ができるのも良い点です。それでも大変な時はありますが、そんな時は同期
・先輩が力を貸してくれるのできっと乗り切っていけるはずです。
次に当直についてですが、先輩方が書いておられるように1年目と2年目の研修
医が1人ずつ当直に入っています。研修が始まってすぐは右も左もわからないこ
とと思いますが2年目の先輩に相談しながら当直業務に慣れていくことができま
す。また疾患や方針について悩むようなことがあっても、レジデントの当直の先
生や心当直、脳当直、救命当直の先生方もいらっしゃるので様々な分野の疾患に
ついて相談できる環境があります。コメディカルのスタッフの方々にも相談に快
く乗っていただける点も魅力です。
ここまで色々話しましたが、病院の様子を知るのには見学が一番です。当院で
の研修に少しでも興味がある方はぜひ一度見学に来て、当院の雰囲気を感じてい
ただけたらと思います。研修医一同お待ちしています。
臨床研修のホームページ→
https://osaka.hosp.go.jp/kyujin/syokikensyu/nikki/index.html
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総編集長:病院長 松村 泰志
編 集 長:副院長 三田英治 平尾素宏
看護部長 西本京子
編 集:池永祐子
発 行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
(〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
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来月の今頃は、新型コロナウイルス新規感染者が更に減少していることを、切
に願うばかりです。また、梅雨に向かう折から、皆様体調には十分ご留意くださ
い。
408-osaka@mail.hosp.go.jp
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