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メールマガジン「法円坂」No.257 (2022/9/20)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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9月に入り、朝晩が少し過ごしやすくなったかなと思います。新型コロナウイ
ルス感染拡大第7波も徐々にですが、減少傾向にあります。秋の夜長に、人と人
との距離を取りながら、マスク無しで近所を散歩をしたり、メルマガ読んだりし
てはどうでしょうか?
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メールマガジン「法円坂」No.257 (2022/9/20)
(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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今月号の目次
・院 長 松村 泰志
・異常気象、気候温暖化に思うこと
・彩りある人生を楽しむために
・看 護 の こ こ ろ
・研 修 医 日 記
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院 長 松村 泰志 看護学校の講義をして
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コロナ新規感染者数はようやく減り始めてきました。第7波では、重症患者数
はこれまでの波の時より少なかったのに対し、中等症・軽症の患者が多く、他疾
患で入院を要する状態の人が、コロナに感染していたケースが多くありました。
大阪医療センターは、これまで専ら重症患者を受け入れる役割を担ってきました
が、重症患者さんは6人を超えることはありませんでしたが、中等症・軽症の患
者さんは、ピーク時では20人近くとなりました。休棟としていた東8階に新たに
12床のコロナ患者用病床を準備していましたが、これだけでは足らず、一般病棟
の陰圧となる病室を利用して何とかやりくりをしていました。そこで休棟にして
いた東8階病棟全室を陰圧装置・空調を整備して28床のコロナ患者用病床とし、
中等症患者も積極的に受け入れることを表明することとしました。これまでは、
フォローアップセンターの指示により救急車で運ばれてくる患者さんへの対応ば
かりでしたが、今後は、地域の医療機関と連携したコロナ感染患者対応もしてい
きたいと思います。
さて、私は附属看護学校の校長を兼ねており、2コマの講義を担当しています。
先日、その講義をしましたので、今回は、それを題材として記事を書きたいと思
います。
私が担当する講義は、1コマは医学史、他の1コマは健康・医療の総論です。
先代校長の是恒先生、先々代の楠岡先生も同じ枠で講義されており、そのスライ
ド原稿を頂いておりましたので、これを自分なりに改変して講義用スライドを作
成しました。医学史については、私自身はすっかり忘れていましたので、新鮮な
気持ちで講義に臨みました。
現在に繋がる医学は、ギリシャ時代に既に原型ができ、ヒポクラテスは多くの
患者の病歴を体系化しました。ヒポクラテスの誓いは今でも通じる医療者の倫理
指針です。中世となって約千年間は進歩が止まっていましたが、ルネサンスの頃
から近代医学が始まりました。この頃に精緻な解剖学の体系が作られ、更に臨床
像と病理解剖が結びついたことで、現在の疾患体系ができていきました。この頃、
望遠鏡の発明で天文学が体系づけられていったことは有名ですが、同じ頃、顕微
鏡が発明され、医学の進歩に貢献しました。17世紀にはオランダのライデン大学
が医学の拠点となり発展し、18世紀となるとイギリスのエディンバラ大学に拠点
が移り、現在に通じる臨床医学が体系づけられていきました。19世紀になるとド
イツ学派が研究室医学で新しい風を起こしました。特に感染症について、その原
因となる微生物が次々に発見され、ワクチンの開発も進みました。19世紀には外
科の進歩がありました。リスターは消毒法を確立し、ロングによりエーテル麻酔
が始められ、コレルはコカインによる局麻法を開発しました。麻酔については、
それより早い1804年に、日本の華岡青洲がマンダラゲを使って全麻下で乳癌の手
術に成功したとの記録があります。アメリカは、当初はエディンバラ大学から学
びましたが、ドイツ学派の隆盛によりドイツにも留学してどちらの良いところも
取り入れ、20世紀後半にはアメリカが世界の医学の中心的立ち位置に着きました。
20世紀になって、ペニシリンが発見され、その後次々に抗生剤が開発されてい
きました。これにより感染症を治療できるようになりました。19世紀末にレント
ゲンがX線を発見し、20世紀はCT、MRI、超音波など画像診断の幕開けとなりまし
た。その他、ホルモン等の活性物質の発見とそれに関わる疾患の同定、抗体の発
見から近代免疫学に、DNAの概念・解析から近代遺伝学が発展しました。分子レ
ベルでの疾患原因の解明、分子標的薬の開発、内視鏡手術からロボット手術への
流れ、移植医療、再生医療などなど、次々に大きな発見・発明がありました。医
学史は、20世紀前半までは何とか物語風に語ることができるのですが、20世紀後
半になると、あまりに多くの発見、発明があり、物語風に語ることが難しくなり
ます。
人類が登場したのは5万年前と言われており、農耕文明の誕生が紀元前7000年、
その後文明ができ、ギリシャ文明も紀元前のことでした。紀元後1500年頃までは
大きな進歩はなかったのですが、1600年頃から近代医学が始まりました。1850年
頃からモードが変わり、新たな発見・発明が次々にあり、現在の医学が形づくら
れていきました。1950年頃からは更にモードが上がり多くの発見・発明がありま
した。この70年で発見・発明されたことは、それまでの2000年間、或いは5万年
間の何十倍、何百倍にもなっているように思います。
こうした人類が進む速度を表す指標として世界人口の推移があります。紀元前
7000年は1千万人程度、西暦元年が2~4億人、1850年には11億~14億人、1950年
には25億人、2020年には75億人となっています。この170年で人口増加速度が上
がりましたが、特にこの70年の増加は著しくなっています。やはり1850年頃にモ
ードが変わり、1950年頃から更にモードが変わったように見えます。
医学の発展と人口増加がリンクする理由は良く分かりませんが、私達は今、こ
れまでの人類が経験したことのない速い変化の中で生きていることは確かなよう
です。日々の生活の中で、そのようなことを意識して生きている分けではないの
ですが、どこかで、このことを思い起こすべき時があるかもしれません。
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異常気象、気候温暖化に思うこと
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腎臓内科科長
岩谷 博次
ホッキョクグマは、気候温暖化の影響をうけやすいという。気候温暖化に伴っ
て、北極の氷が急速に溶けだしているので、生活圏である氷の面積がへるという
ことが問題なのかと単純に思っていた。しかし、どうもそれほど単純ではないら
しい。
ホッキョクグマは、海に浮かぶ氷上のアザラシなどの獲物をみつけると、海に
潜って得意な泳ぎでそっと獲物に近づき、海から突然氷上に姿を現して獲物を捕
獲するという。つまり、ホッキョクグマが獲物を捕獲するのに海氷の存在が重要
である。温暖化が顕著となり、夏に海氷が溶けてなくなる期間が長くなれば、そ
の間は狩りをすることができなくなるというわけである。
気候温暖化で生存を脅かされるのは、北極圏の生態系の頂点に君臨するとされ
るホッキョクグマだけではない。ヒトもまたしかりである。大量の北極/南極の
氷が溶け続けると、その分の水の体積が増え、低い土地にある都市が海に沈んで
しまう、と想定されている。
もっと身近には、大阪においても、晴天から急に大雨が降りだして、また止む
というスコールのような雨がみられるようになった。突然の落雷も経験する。あ
たかも熱帯地方に住んでいるかのようだ。
そもそも、線状降水帯という用語も以前は耳にしなかったが、最近では日本各
地で大雨の被害が起こり、これまでは水害など聞かれなかった地域にまで、被害
が及んでいる。気象解説によれば、海面温度上昇の問題や、偏西風が今年は大き
くずれて蛇行したために、などと説明がなされ、結局は全世界的な気候温暖化の
問題が関係しているのかと、思わざるを得ない。
気候温暖化による気温上昇は、近年の夏の異常な暑さによる熱中症にもつなが
り、医療機関でも問題となっている。我々腎臓内科医の問題として考えたとき、
腎臓病の患者さんに対して一日6gの減塩を指導している。ただ、発汗による塩
分喪失は、気温・湿度や運動経験などにより個人差が大きく一律に見積もること
は大変困難とされる。ここ数年、毎年夏には熱中症で死亡者が報道されるような
異常気象が起こりうる時代になったこの日本において、どの程度の塩分摂取量が
個々の腎臓病患者さんにとって、熱中症リスクを減らし腎保護にとってベストな
のか、診療時に悩むことも多い。夏場は特に、個々の患者さんの生活状況や運動
習慣なども勘案しながら、注意深い減塩指導が必要と考えている。
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彩りある人生を楽しむために
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緩和ケア内科
相木 佐代
「趣味」は、心や生活を豊かにしてくれますよね。みなさんの趣味は何でしょ
うか。
私は、テニスや水泳やゴルフに加え、最近、とうとう「ワイン」の沼に、はま
ってしまいました。ブドウの品種による違いだけでなく、生産国や土壌、醸造方
法によって、多種多様な味わいが生まれ、経年変化によってさらに味わいが変化
していく様は、奥深く、知識欲も刺激され、飲み飽きることがありません。元々
アルコールには強くないので、日々、肝臓に檄を飛ばしながら、ちびりちびりと
楽しんでおります。
趣味は人の縁もつなぎ広げてくれます。知人といえば、どうしても同年代や同
業者の人ばかりになってしまいますが、趣味を通じて様々な年齢や職業や地域の
方と出会うことができ、自分の世界を広げるきっかけを与えてくれます。今では、
ビデオ通話のツールも増え、世界中の人とつながることも、決して珍しいことで
はなくなりました。
このような趣味を通しての人との繋がりは、長きにわたって日々の生活に彩り
を与えてくれ、きっと充実した人生となることでしょう。しかしながら誰しもそ
の生命には限りがあります。健康な人の多くは、いつかは最後を迎えるという事
実を知りつつも、毎日の生活に追われ自身の人生の最終章について考える機会は
少ないように思えます。
厚生労働省は、「人生会議」の愛称で、人生の終末期における医療やケアの内
容について、事前に家族や医療・ケアチームなどの信頼できる人たちと話し合っ
ておく(アドバンス・ケア・プランニング)よう推奨しています。もし、残され
た時間が限りあるものとわかった時、どこでどのように過ごしたいのか――。人
それぞれ、大切にしているもの、こと、人、様々あるでしょう。それを近しい人
や信頼できる人と共有できているでしょうか。あなたが自分の気持ちや希望を伝
えられなくなった時、周りの人たちはあなたの意向を汲んで、サポートしてくれ
るでしょうか。もし、少しでも心配なら、今日からでも話し合っておきませんか。
昔から「畳の上で死にたい」といったものですが、現在自宅で最期の時を迎え
る人はわずか15%ほどです。その要因は多種多様ありますが、家族や友人が、本
人の代わりに大切な決断をしなければいけないとき、これまでお互いのことを話
す機会を作っていなかったがために、趣味や本音について誰も知らず、本人の意
向を十分に汲むことができなかった、ということも一因としてあるようです。
ワインの味わいのように、人の感情や周りの環境も、時が経つと変化していき
ます。ワインも、そして人生における大切な決断も、セラーの奥に入れっぱなし
にして忘れてしまわないよう、時々手にとって、状態を確認することが大切です。
「このワインには、こんな思い入れがあってね」「これは、あの時に買った1本
なんだよ」「飲み頃はもう少し先かな」「これを飲まないうちは死ねないな」な
んて思い出話に花を咲かせながら、ワインも、そして人生も楽しめるようであり
たいですね。
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看 護 の こ こ ろ
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東11階病棟 副看護師長
上岡 愛沙
9月に入りましてもなお厳しい残暑が続いておりますが、皆様お変わりなくお
過ごしでしょうか。朝夕には風に涼しさも感じ、新秋を感じる季節となりました。
食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋と様々なことが楽しめる季節でもありますね。
体調やコロナに気をつけてお過ごしください。
私は、この春より脳卒中内科・脳神経外科病棟へ異動となりました。病棟異動
と同時に副看護師長へ昇任し、責任感を一層感じながら病棟のスタッフとともに
切磋琢磨しながら日々を過ごしています。「看護のこころ」ということで、病棟
に異動してきて感じた看護師としてうれしいなと思ったエピソードを紹介したい
と思います。
患者A氏は交通事故による急性硬膜下血腫により入院されていました。急性硬
膜下血腫とは、事故による衝撃で脳を包んでいる硬膜という膜の内に出血が生じ
る疾患になります。この出血の影響で血腫と言われる血の塊ができ脳に障害を及
ぼします。そのため、最初は意思疎通も難しく、ベッドで寝たきりの状態でした。
今まで、一家の大黒柱として働いていたA氏の事故後の状態をみて、ご家族も大
きなショックを受けている様子が見られました。そうした中で病棟では患者に応
じて必要なリハビリや看護を考えています。理学療法士など多職種と共に連携し
ながら少しでも元の日常生活を送ることができるように関わっています。例えば、
寝たきりの状態であれば筋力が低下してしまいます。今まで歩けていても、長期
間寝たきりの状態でいると立つことも困難になります。筋力を低下させないため
にもリハビリを通して足の運動を行っていきます。もちろんその患者一人ひとり
で必要になることはかわってきます。今、この人に何が必要なのかをスタッフ同
士で話し合い、専門の多職種に相談して実践していきます。このように、A氏の
日々の必要となる関わりや看護、リハビリを病棟のスタッフで考え実施していく
中でA氏は日に日に回復していくことができました。寝たきりの状態が長く意思
疎通が難しかったのですが、少しずつこちらの呼びかけに頷きを見せ、目で反応
することができるようになりました。また、寝たきりの状態でしたが、筋力アッ
プの運動や何名かで手伝いながら立つ練習をしたり、最初は抱えながらでも車い
すへ移動し座る練習を重ねていくことで少しの手伝いのもとで車いすへ座ること
ができるようになりました。コロナ禍の中で面会も難しい状況です。ご家族が来
られた際に、リハビリの状況や回復過程をみてもらうため車いすに座っているA
氏と一緒に写真を撮りました。本人も笑顔で写っておられ、写真を見たご家族も
とてもうれしそうに日々の状態の回復を喜んでおられました。こうした回復して
いく過程を患者、ご家族とともに歩んでいくことができることの喜びを感じるこ
とができた経験でした。
これからも病棟のスタッフだけでなく患者やご家族と共に一緒に考え、よりよ
い入院生活やこれからの生活に目をむけた看護を行えるようにしていきたいと思
います。
最後になりましたが、まだまだ残る残暑の折りご自愛ください。
ホームページ→https://osaka.hosp.go.jp/kango/index.html
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研 修 医 日 記
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初期研修医2年
玉城 勇樹
大阪医療センター初期研修医の玉城勇樹と申します。研修医生活1年間を終え
て仕事や生活にも慣れてきましたので、当院で働くことを考えてくださる医学生
のためになればと思い、今回この日記を書かせていただきます。
まず私が当院での研修で満足している点は、個人の自主性の尊重と十分なサポ
ート環境です。将来医師として働くために自分で主体的に考えて行動する能力は
必要不可欠だと思いますが、当院での研修は、縛られた環境ではなく自分がどの
ような研修を行いたいかを考えて働くことが可能です。そして自由度の高い研修
を支えているのが、十分なフィードバックだと思います。自分が疑問に感じた点
は指導医やレジデントの先生に質問できますし、日常業務や当直等で至らない点
は確実に指摘していただけます。また病院全体の雰囲気も良く、コメディカルの
方々ともコミュニケーションを取りやすいため、素晴らしい研修環境だと思いま
す。
もう一つの推しポイントが研修医ルームです。とにかく広くて、快適です。当
院は研修医が1学年に13人とやや多いですが、それでもあまりある広さです。設
備も十分ですし、十分働いた後に休憩時間はここで思いきり休めます。同期とも
仲が良く、学習した内容を共有したり、雑談したりしますが、それも研修医ルー
ムあってこそだと思います。見学の際はぜひ一度覗いてみてください。
長々と書いてしまいましたが、研修病院の選択で一番大切なのは、結局自身の
直感だと思います。私は大学の実習で当院を訪れた際に、研修病院はここだと直
感しました。その選択は間違えていないと思いますし、何度でもここを選ぶでし
ょう。これを読んでくださった皆様が当院にご縁を感じ、研修を希望してくださ
れば幸いです。
臨床研修のホームページ→
https://osaka.hosp.go.jp/kyujin/syokikensyu/nikki/index.html
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総編集長:病院長 松村 泰志
編 集 長:副院長 三田英治 平尾素宏
看護部長 西本京子
編 集:池永祐子
発 行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
(〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
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先日、イギリス王女エリザベス2世が96歳で逝去されました。26歳の若さで王
位につき70年間在位されました。王女は、ユーモアのある方だったとのこと。日
々色々ありますが、ユーモアを忘れずに、過ごしたいものです。ご冥福を祈りま
す。
408-osaka@mail.hosp.go.jp
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