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メールマガジン「法円坂」No.260 (2022/12/19)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)



 今年どんな1年でしたか?今年の漢字は“戦”でした。ウクライナ戦争、新型
ウイルスとの長期戦、北京冬季オリンピックやサッカーW杯の熱戦等色々な形の
戦いがありました。命が奪われる戦いは1日も早い終息を願います。それでは、
今年最後のメルマガをどうぞ!
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   メールマガジン「法円坂」No.260 (2022/12/19)
          (独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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今月号の目次
 ・院 長  松村 泰志
 ・血液内科医の診療 
 ・仕事で若い人とどう接したらいいのかという話を耳にする
 ・看 護 の こ こ ろ
 ・研 修 医 日 記

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       院 長  松村 泰志   井上通敏名誉院長の思い出
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 去る12月10日、大阪大学名誉教授、国立大阪病院名誉院長の井上通敏先生がご
逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げるとともに、皆様にお知らせいたしま
す。
 井上通敏先生は、私の恩師であり、多くのことを教えて頂きました。振り返り
ますと、私は、井上先生に示して頂いた道を歩み、井上先生と同じく、医療情報
学の教授を勤め、現在は大阪医療センターの院長を勤めさせて頂いています。今
月は、井上先生の思い出を記載したいと思います。
 井上先生は、昭和37年大阪大学医学部を卒業され、第一内科に入局されました。
当初人工膵島の研究をされていましたが、阿部教授の指示で情報科学研究室に移
られ、その後、心臓の電気生理、心力学を加えた研究グループを作られ、更に、
松尾裕英先生(後香川医大循環器内科教授)率いる心臓超音波の研究グループ、
多田道彦先生(後阪大医学部教授)率いる心臓分子代謝グループを統合して心臓
グループ(Systems Cardiology)を作られました。このグループが発端となり現
在の大阪大学循環器内科に発展していきました。その頃、前第一内科教授で国立
大阪病院院長であった吉田常雄先生のご尽力で国立循環器病センターを大阪に設
立されることが決定されていました。井上先生は、その準備のために厚生省、文
部省に心臓グループの人を送る等をされました。また、北畠顕先生(後北大循環
器内科教授)、堀正二先生(後阪大第一内科教授)、武田裕先生(後阪大医療情
報学教授)、楠岡英雄先生(現NHO理事長)がアメリカの大学に留学する道を引
かれました。当時関西では、CCUは桜橋渡辺病院にしかありませんでしたが、井
先生の方針で、大きな病院にCCUが設置されるようになりました。私が大阪大学
を卒業した昭和60年は、ちょうど循環器内科の形が整ったばかりの時でした。井
上先生は、大阪の循環器内科の形を創られた先生でした。
 阿部先生が第一内科の教授を退官された後、井上先生がその後を継がれること
を期待する声が大きかったのですが、教授選の結果はそうなりませんでした。当
時、文部省は、各大学医学部に医療情報部を設置し、日本の情報システム化を推
進する方針を打ち出しました。東大、京大に次いで、阪大に日本で3番目に医療
情報部ができ、その後、各国立大学病院に設置されました。現在、日本の情報化
の遅れが問題視されていますが、もし、これがなかったら、もっと情報化が遅れ
悲惨な状況になっていたと思われます。昭和62年、井上先生は、医療情報部の教
授となられました。当時は全てが紙で管理されていた時代でした。それだけでな
く、カルテは各科で管理されており、併科受診している患者であっても、他の診
療科でどのような診療がされているのかが分からない状態でした。このころ、阪
大病院は、中之島地区から現在の吹田地区への移転が決まっており、その準備を
すべき時期でもありました。井上先生は、新病院にインテリジェントホスピタル
との名前を付けられ、情報システムを導入して合理的で効率的な病院にする方針
を打ち出されました。新病院では、大きなカルテ庫を設置して全診療科のカルテ
を一元的に管理し、搬送システムを装備することで、1患者1カルテ方式を実現
されました。病院情報システムを導入して、病院運用を効率化させ、診療情報が
共有化しやすい環境を整備するよう方針を示されました。これを実現させるのに、
助教授の武田裕先生だけでは大変だろうということになり、当時大学院生であっ
た私が抜擢され、助手としてこのプロジェクトを推進することになりました。
 私は阪大病院で1年研修した後、循環器内科を専門とする道を選び、警察病院
で3年間勤務し、学位を取得するために大学院生として阪大に戻りました。私が
学生時代に人工知能を応用した診断システムの研究をしていたこともあり、医療
情報学にも興味を持っていました。そこで井上先生の教室の大学院生となり、井
上先生から指導を受けることとなりました。当時、井上先生の教室には、心臓の
研究をしている大学院生が多くおられました。毎週ミーティングがあり、研究に
ついての指導を受けていました。私の場合、心臓に加え、医療情報に関すること
についてもテーマを与えて頂き、報告していました。例えば、何故誤診が起こる
のか、誤診を防ぐためにはどうすれば良いのかといったことを課題として与えら
れ、自分なりの考えをまとめて聞いて頂きました。私は、循環器の道に行くべき
か、医療情報学の道に行くべきかを迷っていました。井上先生も、決めかねてお
られる様子でした。私が医療情報部の助手になったのは、井上先生の指示による
ものではありませんでした。井上先生が国際医療情報学会に参加するために長期
海外出張に出ておられた時に、病院長から連絡があり、私を助手にするから書類
を出しなさいと言われました。言われるままに書類を提出したところ、助手にな
ることが内定してしまいました。井上先生が帰国され報告しましたところ、随分
と驚かれ、直ぐに文部省に連絡され、助手をしながら大学院生を続けることがで
きないか掛け合っていただきました。結論的にはできないとの返事で、私は大学
院を退学することになりました。しかし、研究歴がありましたので、その1年後
に学位を取得できました。こうした経緯で、私は本格的に阪大病院のシステム導
入の仕事に携わることになりました。当時は、薬剤部や検査部といった中央診療
部門にシステムを導入して業務の効率化を図り、オーダエントリシステムを導入
して診療現場から中央診療部門にオーダ情報を伝送し、会計計算を自動化するも
のが中心でした。出来上がったシステムはありませんので、業務分析から始まり、
システム設計をし、ベンダーに作ってもらう必要がありました。システムができ
あがると、マスタを作り、職員教育をし、リハーサルをした上でシステム運用に
切り替えるといったことをしていました。これが全ての業務で、全ての部門に及
びますので、大変な仕事量で、私は日々忙殺されていました。ある日、井上先生
に苦言を申し上げたことがありました。
「こうしたシステム導入の仕事は意味があり、重要だということは分かりますが、
果たして学問的な意義があるのでしょうか。」
その時、井上先生は、
「情報化を推進することで、医療を、まず見える化をしなければならない。今の
医療(紙カルテ時代)は密室の医療であり、これでは発展性がない。見える化が
できたら、評価しなければならない。評価がないところに進歩はない。評価がで
きたら支援をしなければならない。現実の医療はピンからキリまである。キリの
医療をピンに近づけることは我々にしかできないことだ。」
この言葉が、その後の私の方向性を決めることになりました。当時は、電子カル
テが実現できるとは誰も考えていませんでした。しかし井上先生は、
「紙で情報を管理していたら何も始まらない。まずはデジタル化することが必要
だ。」
とおっしゃり、その方針に従って電子カルテの研究を開始し、導入に向けて準備
をしました。NECの最初の電子カルテは、阪大病院に多くのプログラマーが集ま
り、阪大病院で開発されたものでした。現時点で電子カルテは普及しましたが、
電子カルテデータを使って評価すること、診療を支援することについては十分で
はありません。こうした課題は、今になって大きく取り上げられるようになりま
したが、20年前に井上先生がおっしゃっていたことでした。
 井上先生は医療情報学会の会長を勤められた際、医療情報学会を法人化され、
医療情報学会の事業として医療情報技師育成部会を立ち上げられました。当時、
医療情報の知識は体系だっていませんでした。井上先生は、医療情報の知識の体
系化と教育体制を整備するよう指令を出されました。私も含め、当時の医療情報
を担当する人達が集まって教科書を編集し、講習会を行い、資格試験を実施しま
した。こうした活動により、医療情報人材を輩出することができるようになりま
した。井上先生は平成8年に大阪大学を退任され、国立大阪病院の院長として異
動されました。医療の情報化について、殆どの人達が否定的、非現実的だと思わ
れていた時代に、今の姿を思い描き、私達を指導されていました。井上先生は、
将に、日本の医療情報の形を創られた先生でした。
 井上先生は、おしゃれな先生でした。阪大には、病院14階にロイヤルホテルか
らレストランを誘致されました。銀杏会館と名付けられた同窓会館を建てられ、
ホール、会議室、レストラン等が入ったおしゃれな建物でした。国立大阪病院で
は、緊急災害医療棟を建てられました。井上先生が建てられた建物は、落ち着い
た高級感のあるデザインとなっており、他の無機質なトーンのデザインの建物と
は違っていました。また、画家の方々と交流をお持ちで、沢山の絵画の寄贈を受
けました。
 井上先生が居られるお部屋に立ち寄ると、「どうだ」と声をかけていただき、
棚にウイスキーのボトルとグラスを取り出して、「松村君も飲むか」とおっしゃ
り、ウイスキーを注いでいただきました。井上先生からはいろいろなお話しを聞
かせていただきました。「人が追求すべきことに真、善、美があり、我々は善の
科学を追求する立場にある」であるとか、「事業や研究の成果を上げることも大
切だけれども、人を育てることが最も大切だ」といったことをお話しされました。
こうした様々なお話しの中で、私が最も心に残っていますのは、
「人と会った時、この人から何を得られるかなどを考えるようではダメだよ。こ
の人に何を与えられるかを考える人でなければならないのだよ。」とおっしゃっ
たことでした。井上先生は、そのように思いながら人と接しておられたことは良
く分かりました。
 井上先生は、国立大阪病院の院長を退任された後、大阪府立病院機構の理事長
になられました。この役職を辞された後、大阪薬科大学の理事長をお勤めになり、
大阪医科大学との併合を推し進められたとお聞きしました。井上先生は、大阪大
学の名誉教授、国立大阪病院名誉院長であり、大阪府立病院機構理事長、大阪薬
科大学理事長を歴任されました。循環器内科医療の始祖であり、医療情報学の始
祖でもあります。こうした功績により、平成27年、瑞宝中綬章を受けられました。

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                 血液内科医の診療
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                                                       血液内科 医師 
                               長手 泰宏

 当院の血液内科は2020年4月より1年間診療を中断しておりました。2021年4月
に大阪大学の血液・腫瘍内科から私と柴山科長が、血液内科診療を再開するため
に当院に赴任して参りました。当科が専門とする病気は、再生不良性貧血や免疫
性血小板減少性紫斑病、自己免疫性溶血性貧血といった非腫瘍性疾患、白血病、
骨髄異形成症候群、多発性骨髄腫、悪性リンパ腫といった腫瘍性疾患があります。
いずれも人口10万人あたり数人発症するかどうかといった比較的稀な病気である
ため、患者さんに病気のことを説明しても「周りでそんな病気になった人は聞い
たことがない」といった反応が多く、医療者であっても「ちょっと診たことがな
いから」と敬遠されがちです。
 コロナ禍初期においてSARS-CoV-2が全く未知のウイルスだった頃、確立した治
療法や予防法がない中、多くの方が恐怖と共に不安の感情から強いストレスを自
覚したことは記憶に新しい出来事です。
 血液疾患の中には確かに放っておくと命に関わる“怖い”病気がありますが、
必要以上に怖がってしまう場合、その原因の一つに病気のことがよくわからない
ことからくる“不安”の感情が影響しています。
 一例として、悪性リンパ腫ではPET-CT検査と骨髄検査によって病期の広がり具
合を調べるstagingを行います。骨髄にリンパ腫細胞の浸潤をわずかでも認めれ
ば、病期Ⅳと判定します。そしてⅣ期と告げられた時の患者さんは、ほぼ例外な
く表情が固くなり、体が強張るのがわかります。そこで説明として「胃癌など上
皮細胞由来の“癌”であればⅣ期ということは全身に広がっているため、“抗が
ん剤が効かない腫瘍”は治癒を目指せません。でも悪性リンパ腫はそもそも血液
細胞が“がん”化したものなので、Ⅰ期、Ⅱ期であっても検査でわからないレベ
ルでリンパ腫細胞が他の場所に潜んでることはよくあります。そして大事なこと
はⅣ期であっても“抗がん剤が効く腫瘍”であれば治癒を目指せます。悪性リン
パ腫には国際予後指標に基づく生存曲線が示されており、そこでは年齢・LDH・
Performance Status・病期・節外病変数の5つを同列にカウントしていて、(生
存曲線を見せながら)Ⅳ期であっても低-中リスクの方もおられ、実際これぐら
いの方が治癒した症例に該当します」と伝えることで、患者さんの強張りは解け
ます。
 私達血液内科医はできるだけ多くの時間を病状説明に割くことで、患者さんに
も病気のことを御自身でしっかり理解していただき、誤解を恐れずに言えば“正
しく”怖がって欲しいと考えています。

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          仕事で若い人とどう接したらいいのかという話を耳にする
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                            消化器内科 医師
                                                             山本 俊祐

 近頃、仕事で若い人との接し方が難しくなったという話を耳にするし、自分も
そう感じる。自分も若くないということになるのだが、実際のところ、医師の世
界では自分が研修医だった20年前とはいろんなしきたりが大きく変化したと感じ
る。自分が研修医のときは、家に帰れないことは別にそう珍しいことではなく、
夜中であろうと急変があれば何時でも駆けつけたものだった。テレビドラマに出
てくるいつでも髪型が決まって顔もスッキリ、パリッとした洗濯したての白衣を
着ている研修医なんてウソであった。しかし今では疲れ切ったボロ雑巾のような
風体をした研修医を見ないし、もしいたら問題である。近頃の若いやつは、とい
う御仁もおられるだろうけどやはりこの変化は良い変化と考えるべきであろう。
自分はしばらく北欧の大学病院で勤務医をしていたが、医師の労働環境は日本と
はかけ離れたものであった。夏季休暇が4週間あり、平日も16時にはほぼ必ず業
務は終わっていた。ドイツやイギリスの友人に話を聞くと北欧はかなり極端な例
ではあるらしい。それでも日本は欧州と比べればまだまだこのあたりは遅れてい
るといってよいと思う。江戸末期の蘭方医を描いた司馬遼太郎の「胡蝶の夢」や
吉村昭の「冬の鷹」などを読むと、日本の医師とは滅私奉公するべき存在、とい
う先人の医師の倫理観、使命感からきている流れで、そもそも悪徳ではないので
変えるのはなかなか難しいのであろう。欧州では仕事は家族や休暇の次にくる事
項であって、日本の労働感覚とは全く異なる。話に聞くことはあって知っていて
も現場に行くとそれをナマで感じた。宇宙に行った宇宙飛行士が強烈なインパク
トを受けて帰還することについて立花隆の「宇宙からの帰還」に詳述されていた
が、それに近いとまではいかなくとも非常に強くカルチャーショックを受けた。
とは言っても日本には日本の文化、やり方があり一律に欧米に倣えとはいかない
しそれは違うと思う。一方、変わっていいものもあれば変わらないほうがいいの
に、と思うこともある。日本は国の繁栄のために突き進む一方でいろんなものを
知らないうちに失っている。昭和最後の世代である自分が子供の時分、人間関係
は今のように希薄でなかったし自然がまだ身近に豊富にあった。スウェーデンで
は近所付き合いが昭和時代のように盛んで楽しかったし住宅地の裏の森にベリー
やリンゴを採りに行ったりそこで鹿やウサギともよく遭遇したりした。変化すべ
きこと、変化しないでもらいたいこと。多角的な視点も必要で漱石先生ではない
が兎角この世は難しい。中年にさしかかった医師の戯言でした。

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            看 護 の こ こ ろ        
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                                       ICU副看護師長 
                                  小川 理
  
 師走に入り寒さも本格的になってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
新型コロナの第8波とインフルエンザが同時流行すると騒がれております。感染
予防対策を講じお気を付けください。
 私は今年の4月に副看護師長に昇任し、同時にSCU(Stroke Care Unit:脳卒中
集中治療室)からICU(Intensive Care Unit:集中治療室)に異動となりました。
ICUでは予定されている大手術後に入室される患者さんと、急性発症した疾患に
より、生命の危機的状況に陥り入室される患者さんがおられます。後者のような
状況で入室された患者さんは、強い苦痛や恐怖が断片的に残り、記憶のゆがみが
のちにPICS(Post Intensive Care Syndrome:集中治療後症候群)となって患者
さんをさらに苦しめることもあります。ICUでは、【ICUダイアリー】というICU
での療養生活の日記を写真とともに記録し、患者さんの断片的な記憶の隙間を埋
め、ICUでどんな風に回復過程をたどってきたかを振り返ることができるような
取り組みをしています。すべての患者さんに渡せてはいませんが、ICUダイアリー
をお渡ししたある患者さんのことをご紹介したいと思います。
 Aさんは心筋梗塞を発症しICUに緊急入院されました。循環補助装置が必要なほ
ど重症でしたが、少しずつ状態が改善し一般病棟へ移られました。しかし一般病
棟へ移った5日後に呼吸困難となり、心不全の悪化のためにICUへ再入室となりま
した。呼吸状態が改善せず、夜も眠れない日が続いたため、人工呼吸器を装着す
ることになりました。肺に溜まった痰を出すために1~2時間おきに体を左右横
向きにしたり、背部から振動を与えて痰を動きやすくしたりする看護を24時間続
けていました。昼夜のリズムをつけるために、昼間は鎮静剤を減らし、文字盤を
使ってAさんとコミュニケーションを取りました。Aさんは自分の手すら重くて上
げにくそうでした。人工呼吸器からの離脱を目指し、ベッドの上で座り背もたれ
を使わず、呼吸をするための筋肉を鍛える呼吸筋リハビリテーションを行い、A
さんも始めは辛そうでしたが徐々に座っている時間も長くなってきていました。
そして再入室から12日目に人工呼吸器を離脱することができました。翌日から歩
行器を使って歩く練習を始めたAさんの表情は、キリッと引き締まり、笑顔も見
られました。ICUを退室したAさんに、1週間後ICUダイアリーを届けに行った時で
す。AさんはICUでのことをはじめは思い出せないようでしたが、ICUダイアリー
を一緒に見ながら、写真に写っている様子をその時の状況とともに説明していく
と、「あぁ、このへんからよう覚えてる。よくしてくれたの思い出したわ。呼吸
のチューブが一番しんどかったな。しんどかったけどがんばったなー。ほんとに
ありがとう。病気に立ち向かっていく勇気が出たわ。がんばります。」と語って
くれました。AさんはICUでつらかったことだけではなく、リハビリを頑張ったこ
とや看護師とたくさんコミュニケーションをとったことなど記憶の穴埋めができ、
自分の頑張りや医療スタッフに見守られていたことを実感することができたよう
でした。私たちも嬉しく、看護って素晴らしいと再認識することができました。
 ICUダイアリーは、患者さんのICUでの断片的なつらい記憶を補填することで、
どのように回復過程を歩んだのか、患者さん自身が受け入れる手助けをします。
同時に、医療スタッフや家族が見守り励ましていたことを実感できる取り組みで
す。今後もより多くの患者さんの回復をサポートできるよう取り組みを継続して
いきたいです。命をつなぐ看護をしながら、患者さんが一番つらいときにそばに
いて励まし、力になれる。これからもそんなICU看護ができるようスタッフとと
もに成長していきたいと思います。
                                                        
ホームページ→https://osaka.hosp.go.jp/kango/index.html

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             研 修 医 日 記        
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                              初期研修医2年
                                                              本堂 方人
                              
 大阪医療センター初期研修医2年目の本堂方人と申します。1年半程研修して実
感したことをお伝えできればと思います。
 当院での研修における魅力として、スタッフの先生方の人柄がとても良いとい
うことがあります。理不尽なことを言われる場面はほとんどなく、対人関係での
ストレスに悩まされにくいということは、研修を継続する上で大きな利点に感じ
ます。加えて知識・経験豊富であり、丁寧な指導をしてくださいますので、その
おかげで自身のスキルアップにもつながります。手技に関しては先生方が監督し
てくださいますので安心して出来、自身のやる気と事前の勉強によってやらせて
頂ける手技が広がるため、2年間で充分な経験を積むことが可能です。 他の良い
点としては、業務内容が過剰でないこともあります。各診療科での受け持ち患者
数が多すぎて把握しきれないということはなく、患者一人ひとりに対し向き合う
ことができます。また自らのペースで仕事を進められる部分も多く、上手にやり
くりして自分の勉強時間を確保することもしやすいです。
 以上の2点が揃った研修病院は限られているのではないでしょうか。特に自身
のペースで研修を進めたいと考えている方には、当院での研修が適するように感
じます。この記事が研修病院を選ぶうえで参考になれば幸いです。
                                                          
臨床研修のホームページ→
https://osaka.hosp.go.jp/kyujin/syokikensyu/nikki/index.html

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総編集長:病院長 松村 泰志
編 集 長:副院長 三田英治 平尾素宏
     看護部長 西本京子 
編   集:池永祐子
発  行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
         (〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
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 来年の干支は、癸卯(みずのと・う)で『これまでの努力が花開き、実り始め
る』といった縁起の良い年のようです。くる年が皆様にとって良い年であります
ことを願っております。来年もよろしくお願いします。

408-osaka@mail.hosp.go.jp

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