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メールマガジン「法円坂」No.269 (2023/9/19)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)




 今年の夏は記録的な暑さで、熱中症での救急搬送者が過去最高の都道府県も多
くあったようです。皆さん体調は如何でしょうか?もう少しすれば、暑さは和ら
ぐかと思います?それまで、しっかり水分補給や休息を上手に取りながらお過ご
しいただければと思います。休息のおともにメルマガをどうぞ!
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   メールマガジン「法円坂」No.269 (2023/9/19)
          (独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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今月号の目次
 ・院 長  松村 泰志
 ・就任のご挨拶
 ・コロナと味覚障害 
 ・国病で事務職として働く9
 ・看 護 の こ こ ろ
 ・研 修 医 日 記

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    院 長  松村 泰志 日本文化と”Stay hungry, stay foolish”
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 先日、テレビのBSでスティーブ・ジョブズと日本文化との繋がりについて語っ
た番組があり、目に留まり見ていました。ジョブズは、私が尊敬する人物の一人
ですので、今回は、ジョブズについて思うところを書きたいと思います。
 私は、学生時代にコンピュータ診断の研究をしており、PCを使うことに慣れて
いました。卒業して研修医を終え警察病院に赴任しましたが、1年目の時は、ス
ライドを作るのに、シートにアルファベットのシールを貼り(コリコリと呼んで
いました)、特別なペンでグラフを描いていました。1枚のスライドを作るのに
かなりの時間を要していました。2年目の頃、Macintoshコンピュータを医局で買
うことになりました。それまでのPCはキーボードだけで操作するもので使い慣れ
ている人だけが使うものでした。これがMacintoshの登場により、初めてウィン
ドウが開き、マウスで操作する今の操作のPCを体験しました。更に、グラフを描
くソフトが入っており、フォントが自由に選べて、タイプをするだけでスライド
原稿が作れました。圧倒的に時間が短縮し、しかも何度でも作り直すことができ、
きれいに仕上がりました。まさしく、私達の職場に革命が起こりました。もはや
誰もコリコリでスライドを作る人はいなくなり、瞬く間に日本中の医局に広がっ
ていきました。このMacintoshを開発したのがジョブズでした。その後しばらく
して、MicrosoftがWindowsを開発し、世の中の全てのPCがMacintoshと同じよう
な操作のものになっていきました。こうしてPCは、どのような仕事でも必須の道
具となり、世界中の仕事の仕方が変わっていきました。このように、世の中にPC
を広めるきっかけを作ったのがジョブズでした。
 このような華々しい業績がありながら、ジョブズはApple社から追い出されま
した。ところが、Apple社の業績が振るわなくなったころ、再びジョブズが呼び
寄せられ、CEOとなって新しい取り組みを始めました。その中でも最もインパク
トがあったのがスマートフォンの開発でした。このころ、携帯電話が普及し始め
ていましたが、ジョブズはスマートフォンと後によばれるようになったiPhoneを
開発して市場に出しました。これも瞬く間に世界中に広がり、その後、Googleに
よりAndroidが開発され、今は市場を二分しています。MacintoshをMicrosoftが
まねてWindowsを開発したのと同じことが再び起こり、iPhoneをまねてGoogle社
がAndroidを開発し、世の中の携帯電話のほとんどがスマートフォンに変わって
いきました。今や、国民の誰もが自分のスマートフォンを持つまでになりました。
つまり、個人がコンピュータデバイスを持ち歩き、使いこなすようになったので
す。これが世界に与えたインパクトは大きく、世の中のサービス形態が大きく変
わっていきました。この大変革を起こしたスマートフォンも、ジョブズの発案に
よるものでした。PC革命、スマートフォン革命のどちらも、いきなり度肝を抜か
れるような完成された製品が市場に出て、一気に世界中に広がる形での目覚しい
技術革命でした。ジョブズは、まさしく天才でした。
 誰もがその偉業を認め、ジョブズの発言に世界中の人達が注目するようになり
ました。ジョブズの名言の中で特に印象的に語られるのは、2005年のスタンフォ
ード大学の卒業式の式辞で最後に語り掛けた”Stay hungry, stay foolish”で
す。この意図することは、その講演の中で語られています。”人生には限りがあ
る。だから、他人の人生を生きることで自分の人生を無駄にしてはいけない。他
人が考えたことの結果に盲従することをドグマと言うが、ドグマにとらわれては
ならない。他人の意見に、自分の内なる声がかき消されることがあってはならな
い。そして最も大切なことは、自分の心と直観に従う勇気を持つことだ。あなた
の心は、あなたが本当は何になりたいのか、なぜだか分からないがすでに知って
いる。それ以外のことはすべて二次的なのだ。”
 私は大阪大学時代に、周囲に模範事例が無い中で、阪大病院において、紙・フ
ィルムで管理されていた記録をデジタル化し、システム運用に変えていく仕事を
していました。同じ目標に向かってがんばる同志、応援してくれる人達はいまし
たが、やはり、これまで積み重ねてきた運用を大きく変え、混乱に陥れるリスク
があり、多額の投資を要することでしたので、逆風にも会っていました。しかも、
この仕事が、医学研究者として評価されるものではないことも分かっていました。
この試練の時に、私の中にあったのが“自分の心と直観に従う勇気を持つこと”、
”Stay hungry, stay foolish”でした。ジョブズと比べると、1つの病院の中
での改革の小さな出来事でしたが、私にとっては自分自身を成長させてくれた経
験でした。今にして思えば、この経験により、”Stay hungry, stay foolish”
が腑に落ちる言葉と思えるようになったのは、幸いなことと感じます。
 さて、冒頭のジョブズと日本文化の繋がりについてです。ジョブズは、ソニー
の盛田会長を大変尊敬していました。この当時、ウォークマンを開発して世界中
で人気となっていました。ウォークマンは、コンセプトが良いだけでなく、多く
の技術的なブレイクスルーが無ければ成し得なかった商品でした。ジョブズには
それが良く分かっていたようです。盛田会長自身が商品の開発にどれほど関与し
たのかがジョブズが知りたかったことでしたが、やはり盛田会長自身が深くかか
わっていたことを知り、盛田会長を深く尊敬するようになりました。ジョブズは、
度々日本を訪問し、旅館に泊まって、日本らしさを味わう旅を楽しんでいました。
その食卓の精巧さ、儀式のような食事の仕方、日本の風呂など、全ての日本らし
さを大変気に入っていたようです。また、陶芸にも深く関心を抱いていました。
京都の骨董屋を訪問し、日本の陶芸作品を食い入るように見ていました。そして、
店主に、どこの土で作っているのかから始まり、こうした器が作られる過程を詳
しく質問してきたとのことでした。また、自分のために、角に丸みのある皿を作
って欲しいと頼んでこられ、角のカーブのさせかた、皿のデザインを細かく指定
されたとのことでした。そのデザインは、日本的にも大変優れたものだったとの
ことです。こうした丸みのある陶器が、iMACの丸みを帯びたデザインのヒントに
なったとのことでした。ジョブズが亡くなる少し前にも信楽を訪問し、灰かぶり
の茶碗がないかと尋ねられたとのことです。よほど日本の陶芸を親しんでおられ
たのだと感心します。
 日本文化には、作品に魂をこめて造るところがあります。作品には、作成者の
心境が映し出されますので、良い作品を造るためには、作成者の魂を磨くことか
ら始めなければなりません。剣道、弓道、柔道、書道、華道、茶道など、あらゆ
ることに、魂を込めて取り組む姿勢が重視されます。魂を込めるとは、心を静め、
澄んだ状態にし、無心となり、直観のひらめきを大切にするということだと思い
ます。こうした日本のものを造り出す姿勢に、ジョブズは共感したのだと思いま
す。明治以後、更には戦後の日本人は、日本の有り様に自身を失い、欧米の考え
方や技術が日本よりも優れていると思い、欧米風を追い求めてきたところがあり
ます。しかし、日本人の多くが海外を訪れ、海外の文化に直接触れる機会を得て、
また、ジョブズのような海外の優れた人物が日本を訪問することで、日本文化の
独自性、他には無い優れた個性を再発見しつつあるのが今の時代であると思いま
す。日本人は昔から伝わる形を守る、伝統を守ることが日本文化を大切にするこ
とと思い込んでいるところがあります。しかし、日本文化に魅了され、日本文化
を愛した人物が、”Stay hungry, stay foolish”と語りました。ジョブズは、
日本文化の本質に、無心の中から生まれる直観を大切にする姿勢を見たのだと思
います。日本文化と”Stay hungry, stay foolish”は矛盾するどころか、その
根底に流れているものは同一なのです。ここに、これからの時代を生きる私達に、
何を大切にすべきかの大きなヒントが隠されているように思います。

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                 就任のご挨拶
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                             脳神経外科 
                               浅井 克則

 2023年4月に赴任してまいりました脳神経外科医長の浅井よりご挨拶申し上げ
ます。
私は2006年に大阪大学を卒業後、大阪大学脳神経外科講座に入局いたしました。
2011年からは神戸市立医療センター中央市民病院に国内留学する機会をいただき、
坂井信幸先生(前 日本脳神経血管内治療学会理事長)に師事し、脳血管内治療お
よび脳卒中の外科治療を学んでまいりました。大阪大学大学院を卒業後は、がん
専門病院である大阪国際がんセンターで脳腫瘍の外科治療および集学的治療に従
事いたしました。その後、大阪脳神経外科病院にうつり、直達手術・脳血管内治
療の両方を行ういわゆる「二刀流術者」として診療に携わって参りましたが、ご
縁があって、当院に異動することとなりました。これまでの経験を活かして、当
院では脳卒中の外科・脳血管内治療ならびに脳腫瘍をはじめ脳神経外科全般を幅
広く診療させていただきます。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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                 コロナと味覚障害
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                             眼科 
                              辻野 知栄子

 今夏ついにコロナに罹患してしまった。家族内感染で必死にイソジン消毒した
甲斐も虚しく、あっという間に喉が痛くなり、翌日に熱発した。倦怠感が強く起
き上がることができなくなり、38度台とそれほど高熱ではないのに寒気が止まら
ず、真夏だというのにクーラーを切って布団にくるまった。数日後にようやく解
熱し始め、少し起き上がれるようになった。脱水予防のためポカリスウェットを
口にしたが、全く味がしない。喉は腫れていたが発声ができる程度のもので、鼻
が詰まっている訳でもなく匂いは遠くの方でまだ残っていたが、とにかく“無味”
だった。龍角散のど飴ですら遠くの方ですーっと少し爽快感があるものの、無味。
その前日までは普通にあったそれぞれの味が突然消えてしまった。美味しくもま
ずくもない。無味。何の味もしない。こんな感覚は初めてだった。突然五感のひ
とつがなくなってしまった衝撃は思いのほか大きかった。五感…視覚、聴覚、触
覚、味覚、嗅覚。眼科という職業柄、五感の中で最も重要なのは視覚であり、そ
の他の感覚の中でも特に味覚については今までそれほど重要視した記憶がなかっ
た。今までの人生で一度も味わったことのない、“味を探す”という努力をして
みた。甘味、苦味、塩味、酸味、うま味…やはりわからない。一過性だろうとい
う心の余裕から、この感覚を覚えておこうとさえ思った。と同時にもし、このま
ま戻らなかったら、という恐怖すら覚えた。
 何の味もしない私はほどなくして臭いもわからなくなった。五感のうち2つが
消えたのだ。視覚の情報を得ているのに、何を食べているのかがわからなくなり、
途端に食欲が減退した。せっかく起き上がれるようになったのに、料理を作る気
力もわかず、見兼ねた主人がシチューとカレーを作ってくれた。同時期に罹患し
た家族が美味しそうに食事をしているのを見ると余計気落ちした。余ったシチュ
ーをいつも通りドリアにしたが、チーズが少し焦げてしまった。焦げた臭いに気
づけず、脳裏に一瞬火事がよぎって身震いした。余ったカレーは余熱をとってす
ぐに冷蔵庫にしまった。臭いがわからないと食中毒にもなりやすくなるなと大げ
さに考えた。
 しばらく美味しいものを食べられないんだなという覚悟ができた矢先に、幸い
にも思ったよりずっと早く味がわかり始めた。酸味や塩味、苦味から徐々に回復
し、ほぼいつも通りの日常に戻った。白黒だった世界が、何色にも折り重なった
彩り豊かな世界に変化していく感覚だった。コロナに罹患して、”当たり前だっ
たことを当たり前と思える幸せ”を忘れないようにしようと誓った。感謝。

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                 国病で事務職として働く9
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                             事務部長 
                               田中 英之

 6月号につづき医療職からみた事務部門の紹介、第2弾です。
 どこの病院もいっしょですが、病院職員の大半をしめている一大勢力の看護部
門、生きていくうえで切っても切りはなせない食事を病状の視点から考えている
栄養部門、ケガなどで機能回復にがんばっているアスリートの姿をテレビでみる
ことがあるとおもいますが、まさしく患者さんの機能回復に取り組んでいるリハ
ビリテーション部門、人工心肺装置、人工呼吸器、人工透析器などの生命維持管
理装置をふくむ院内の医療機器の保守・点検という安全管理を任されている臨床
工学部門、これら4つの部門に事務部門がどのようにかかわっているのでしょう
か? 

          看護部門と事務職とのかかわり』
         大阪医療センター看護部長 西本京子

 24時間365日患者さんの近くでケアをしている看護部にとって、事務部は縁の
下の力持ちという部門です。今回は、特に患者さんにできるだけ良い環境で入院
生活を送っていただく視点で、企画課との連携についてお話したいと思います。
 当院は築40年以上の建物であり、建て替え計画がありますが、現状は老朽化が
進んでいます。配管の不具合による水漏れや空調の温度設定不良などで、事務部
には日々大変お世話になっています。本格的な修理は業者での対応となりますが、
業者がくるまでの間は、応急処置をしていただいています。看護職はちょっとせ
っかちなところがありますが、患者さん第一に考えて現状でできるかぎりのこと
を事務部と看護部とで共に対応しています。今後は不具合対応に追われるだけで
なく、入院されている患者さんが少しでも快適な環境で過ごせるよう、企画課と
協働しながらよりよいアメニティーの充実にも取り組んでいきます。その第1弾
として数部屋ですが、有料個室をリニューアルしました。個室料金は必要になり
ますが、その分少しでも入院生活が快適になるよう工夫しております。病院が新
しく建て替わるにしてもまだまだ先になるとのこと、それまでの間は患者さんに
とって快適な療養環境に近づけられるよう、職員にとって快適な労働環境に近づ
けられるよう事務部にいろいろと相談や提案をし、また事務部からもいろいろと
提案してもらいながら一緒になって取り組んでいます。
 今回は事務部の中の企画課との関係について述べましたが、事務部とは多岐に
わたる関連があります。看護職は「井の中の蛙」のところがありますので、事務
職の広い視野で看護部を支えていただければと思います。
 事務部門とのかかわりを振り返ってみることになり、表には出てこないけれど
も、見えないところで事務職が動くことによりいろいろな部門がまわっているの
だとあらためて認識しました。頼りにしています!

          『栄養部門と事務職とのかかわり』
        大阪医療センター栄養管理室長 内藤裕子

 病院で栄養部門に対して事務部門がどのようにかかわっているのかご存じでし
ょうか? 外から見るだけではピンとこないかもしれませんね。入院患者さまが
療養していくうえで大切な「食事」、この食事を患者さまにお出しするまでには
事務職のかかわりがなくてはならないものとなっています。これからそのかかわ
りを紹介します。
 栄養部門では、管理栄養士と調理師と事務職とともに患者さまへ精度管理され
たおいしい食事を提供し、医師をはじめとして看護師や薬剤師など多くのメディ
カルスタッフとチームをつくり、すべての医療の基本となる栄養管理を行ってい
ます。
 事務職とのかかわりは、食事を提供するためによりよい食材をより安く購入し
ていただくことや食材入荷時の点検にもたちあっていただき、食品の中心温度や
製造年月日などの確認をすることで原材料の受け入れ時における衛生管理にもた
ずさわっていただいています。また、調理室や調理器具などの修理、体液量を計
測する医療機器などの購入、調理室の衛生管理を維持するために定期的な害虫駆
除などにも対応していただいています。加えて、チーム医療をスムーズに推進す
るために関連法規などのアドバイスもいただいています。こんな事務職のサポー
トがあってこそ、安全で安心な食事の提供ができ、充実したチーム医療をおこな
うことができているのではないかと思っています。
 病院での事務職のお仕事は多岐にわたっていると思いますが、患者さまのため、
地域の住民ため、そして働くスタッフのため、『すべての人のために!!』を合言
葉に医療のスペシャリストのひとりとして、活躍する場はたくさんあります。

       『リハビリテーション部門と事務職とのかかわり』
         大阪医療センター理学療法士長 上野俊之

 チーム医療は医療職と事務職とでつくりあげていると言っても過言ではありま
せん。そして、チーム医療を支えるすべてのスタッフは、かけがえのない存在で
す。
 その医療職は、それぞれの専門性を最大限にいかしつつ、患者さんにとって良
質な医療を提供することに重点をおいて業務にあたっています。
 また、事務職は、受付や会計など病院の顔ともなる業務から組織を維持・発展
させるために必要な「ひと」と「もの」の管理、さらに病院経営に関することな
どたいへん守備範囲がひろく、病院の中でもっとも多くの職種と直接かかわる仕
事だと思います。
 リハビリテーション部門では、職員の採用や労務管理などの「ひと」に関する
ことや患者さんにリハビリテーションを提供するための環境整備、診療報酬請求
など「もの」に関することをはじめとして、事務職に支えられていることを数え
るときりがありません。また、リハビリテーション部門は、他の職種とくらべて
歴史が浅く、みじかい期間で急激に職員が増加しているため、業務を円滑にまわ
すうえでマネジメント力を向上させることがとても重要となっています。わたし
たちは、高いレベルで組織化された事務職の働きぶりを手本としています。
 リハビリテーション部門を運営していくうえで、事務部門の組織運営は目標に
なっています。それほど、国病の事務部門はしっかりと確立された組織になって
いると思われます。

         『臨床工学部門と事務職とのかかわり』
        大阪医療センター臨床工学技士長 中村貴行

 臨床工学技士の業務をご存じですか? 臨床工学技士は、医療機器の操作や保
守・点検・修理などをおこなう職種で、業務の内容も多岐にわたります。また、
あらゆる部署にかおを出すことが多いため、ほかの職種のみなさんとも接点があ
り、とくに事務職のみなさんとは、医療機器の購入や修理などを相談したり、病
院の設備について協力して管理したりとつながりが多くあるため、非常に深い関
係であると言ってもよいかと思います。とはいえ、事務職のみなさんが初めから
医療のことを知っているわけではありませんので、私たちコメディカルの業務を
よく知ってもらおうと、昨年度から「コメディカル業務見学ツアー」を開催し
ています。これは、各コメディカルの業務を直接みてもらい、理解を深めてもら
おうという企画で、実際に手術室や検査室、レントゲン室やリハビリ室などを見
学するもので、大変好評なため毎年開催したいと考えています。
 今の医療は「チーム医療」と呼ばれ、医療職だけではなく、事務職も含め全員
で患者さんに安全で質の高い医療を提供しています。そのなかで事務職のみなさ
んは、病院を運営するうえで大切である、建物の設備などの管理や維持、診療報
酬の請求など、なくてはならない存在であり、院内のあらゆることを網羅してい
るため、まさに病院の「守護職」と言ってもよいかと思います。
 この文章も事務部長のチェックが入り、何度もやり直しさせられました。こん
なところまで事務職が守護職として主導権を握っているんです(涙)。
 そんな職種を越えた関係を大事にしている国立病院機構で、是非みなさんも一
緒に働いてみませんか?

✓次回(10月)は、今年3月に大学を卒業し、4月1日から大阪医療センターで仕
事に就いた事務職員1年生から、半年経過した感想をお伝えします。
 
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            看 護 の こ こ ろ        
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                                 東9階病棟 副看護師長  
                                平田 桃子

 高く空気が澄んだ空に、澄み切った心で一日をスタートできる好季節。いくぶ
ん残暑も和らぎましたが、まだまだ暑い日が続く中、夏のお疲れは出ていらっし
ゃいませんか?コロナ禍は残念ながら終息の気配がまだ感じられませんが、パン
デミックが始まった当初と比べると、五類感染症に移行するなど社会情勢が少し
ずつ前進していることに安堵するとともに、健康であることやささやかな日常の
あたり前を取り戻してきていることに日々幸せを感じながら過ごしています。
 コロナ禍が始まった頃は、医療現場に多くの葛藤や、未知の感染症に対する恐
怖、息苦しい防護具を長時間着用し重労働を行うなど、様々なストレスが混乱を
招きました。しかし、より良い現場作りのため意見を出し合い試行錯誤しながら、
医療チームが一丸となり一つ一つの問題に対処していくことで、一般医療と並行
しながらコロナ患者を受け入れる現場の体制を徐々に作り上げていくことができ
ました。
 一方で、ウイルスの猛威に人の命が急激に絶たれていく中、医療・看護の無力
さ、医療倫理と感染対策の板挟みにジレンマを抱えたことも思い出します。万全
の感染対策を行う上で、マンパワーが非常に不足する中、重症患者のケアを行う
ことは心身ともに疲労しましたが、看護の力を感じやりがい・使命感を強く持て
た貴重な臨床経験にもなりました。そう前向きに捉え働く原動力となったのは、
瀕死の患者が回復し社会復帰した知らせも多くあった事です。中でも印象に残っ
ているのは、人工呼吸器・ECMOを必要とした患者が生命維持装置を離脱でき、転
院先の病院から自宅退院され社会復帰した事例です。その患者は抜管後、「生き
てて良かった。まさか自分がテレビで見てたようなことになると思わなかった。
皆さんのおかげでまた家族に会える。もう一度頂いた命大切に生きます。ありが
とう。」と泣きながら話されていました。患者の生きる姿に死生観を育てられ、
生きるということを深く考える機会となった怒濤の3年間は、看護のこころを育
む大切な時期となりました。
 最後になりましたが、残暑残る秋口、お身体ご自愛下さい。

ホームページ→https://osaka.hosp.go.jp/kango/index.html 

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             研 修 医 日 記        
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                              研修医2年目
                                                              中江 陽彦
 
 大阪医療センター初期研修医2年目の中江と申します。今回は現在ローテーシ
ョンしている精神科について述べさせていただきます。
 当院の精神科の研修では前半の2週間を外部の病院、後半の2週間を大阪医療
センターで行うことで幅広い疾患を学ぶことが可能です。
 年度によって異なるかもしれませんが少なくとも今年における外病院は、小阪
病院と大阪精神医療センター、舞鶴医療センター、やまと精神医療センターでし
た。私は小阪病院を選択しました。小阪病院には統合失調症や認知症の患者が特
に多かったように思います。小阪病院では先生とともに患者を受け持つだけでな
く、病棟やデイケアでの栄養教室を、プレゼンテーションを交えて主催させてい
ただきました。
 小阪病院での研修を終えたのちに、大阪医療センターでの研修が始まりました。
当院は精神科の病床を有する病院の一つです。大阪市内において精神科病床を持
つ総合病院はかなり珍しいのではないでしょうか。さらに特殊な点として、当院
は摂食障害の治療に強く、摂食障害患者の初診を先生とともに経験させていただ
きました。私にとって一番勉強になったことは、リエゾン対応を学ばせていただ
いたことです。リエゾンでは他科の患者のせん妄や不眠などの症状への対応を行
います。この対応を学ぶことは何科を専攻するにせよ役に立つものであったうえ
に、先生方が私の学びたいものに寄り添って指導してくださったと感じました。
 以上、簡単ではございますが精神科のローテーションについて説明させていた
だきました。科もそろっている病院ですので、どの科を志望している方でも、是
非一度見学にお越しいただければ幸いです。お待ちしております。
                        
臨床研修のホームページ→
https://osaka.hosp.go.jp/kyujin/syokikensyu/nikki/index.html
 
************************************************************************
総編集長:院長 松村 泰志
編 集 長:副院長 三田英治 平尾素宏
     看護部長 西本京子 
編   集:池永祐子
発  行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
         (〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
************************************************************************
 今年は、関東大震災から100年です。約10万5000人が死亡・行方不明者と言わ
れています。その後阪神・淡路大震災や東日本大震災等々「災害は忘れたころに
やってくる」と言われていましたが、忘れることなくやってきます。今一度、災
害に備えての準備できているか、ご確認下さい。『備えあれば憂いなし』です。

408-osaka@mail.hosp.go.jp


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