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メールマガジン「法円坂」No.280 (2024/8/20)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)




 令和6年8月のメルマガです。今までに経験したことが無い「酷暑日」が続く
毎日ですが、皆さんお変わりございませんか。先月の平均気温は、1898年に調
べ始めてからこの126年で最も高いとのことでした。記録的な猛暑となった昨
年の7月を更に上回りました。そんな中、パリオリンピック2024での各種目に
おける日本チームの快進撃で盛り上がりましたね。
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   メールマガジン「法円坂」No.280 (2024/8/20)
          (独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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今月号の目次
 ・院  長  松  村 泰  志
 ・アメリカでのコロナ禍で感じた医療環境の違い
 ・思い出の味~異動と共に出会えた味~
 ・看 護 の こ こ ろ
 ・研 修 医 日 記

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       院長  松村 泰志   楠岡先生、理事長お疲れ様でした
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 散歩をしていると、ツクツクボウシが元気よく鳴いていました。暑い夏でした
が、そろそろ夏の終わりに向かっているようです。
 7月に楠岡前理事長を囲んで、理事長お勤めのお疲れ様会をさせていただきま
した。楠岡先生が大阪医療センターの院長でおられた時の病院幹部の方々、当時
から楠岡先生と特に交流が深かった方々にお声がけしました。せっかくの機会で
したので、楠岡先生の奥様、娘様にも参加いただき、アテンド役として私の家内
と娘も参加させていただきました。昔話に花が咲き、参加頂いた皆さんから良い
会だったと喜んでいただきました。
 楠岡先生は、大阪医療センターの院長を勤められた後、8年もの長きに渡り国
立病院機構の理事長をお勤めになりました。就任されて直ぐに熊本地震が起こり、
その後4年におよんだコロナ禍があり、最後の年には能登半島地震がありました。
国立病院機構の病院は、こうした国難があった際には医療機関として担うべき役
割を果たしていかなければなりません。しかし、それぞれの病院は日頃の医療で
精いっぱいで、限界もありました。理事長からの指示があり、国立病院機構は、
それぞれの災害で期待された役割をしっかり果たせたと思いますが、この舵取り
は難しいものであったと想像します。私は院長になって知りましたが、国立病院
から独立行政法人になった時に、土地、建物を引き継いだだけでなく、その当時
の借金も引き継いでいました。独立行政法人後は国からの支援は実質ほぼ無い状
態で、各病院の経営は厳しい状況にあります。その中、公的病院としての任務を
負っている状態です。コロナ対応の補助金が全国の病院に支給された際には、国
立病院機構に対しては黒字分の返納が求められました。病院が古く建て替えが必
要であったり、機器の更新が必要であったりしており、資金に余力がある状態で
は決してありません。理不尽な財務省に対し、楠岡理事長は少しでも良い条件を
引き出す交渉をされながら、各病院の院長の不満、怒りをなだめておられました。
また、病院が起こした不祥事、匿名職員の週刊誌への投げ込みなどもありました。
こうしたことが起こった際も、理事長が矢面に立って対応をされていました。大
変なご苦労であったと思います。これらの苦難に対応されてこられた楠岡先生に、
心からお疲れ様でしたと申し上げたい気持ちでした。
 楠岡先生は、私にとっては特別な先生です。私は、高校時に数学と物理が好き
で、そのおかげで阪大医学部に入学することができましたが、医学部の勉強は、
覚えることばかりで面白くはありませんでした。そうした時、楠岡先生が医用統
計の授業をされました。多変量解析を使うと診断ができるというお話しを聞き、
数学が医学でも役立つのだと嬉しくなり、私の友人と楠岡先生に多変量解析の勉
強会をしていただきました。一通りマスターし、自分達で診断システムを作って
みようと思ってデータをくださいとお願いしたところ、私達が利用できるような
データは無いと聞き、それではと自分達で人工知能の勉強をして、頭痛顔面痛診
断支援システムを作りました。この頃の人工知能は知識工学とも呼ばれ、専門家
の知識をコンピュータにコーディングしていくものでした。私の父が頭痛の診断
法の本を書いていたので、父から診断のための知識を聞き出しました。この研究
に対しても、楠岡先生から指導を頂いていました。多くの人が評価結果や見える
部分についての質問しかされなかったのに対し、楠岡先生は診断ロジックの部分
を鋭く突く質問をされてこられました。楠岡先生は、灘高校を1番で卒業され、
東大の入試が学生紛争で無かった年に阪大医学部を1番で入学され、阪大医学部
を1番で卒業されました。阪大医学部には、それなりに頭の良い人が集まります
が、楠岡先生の頭脳はそれを飛び越えていることを感じました。医学部にいなが
ら工学を習得され、工学博士も取得されておられました。それでいて、私達学生
に丁寧に親切に対応して頂きました。大変素晴らしい先生でしたので、私は、卒
業しても楠岡先生のご指導を受けたいと思い、楠岡先生がおられた第一内科の循
環器グループに入局しました。この研究の論文をアメリカの医療情報学会の
Student Paper Competitionにアプライしたのですが、返事がなかったので落選
したと諦めていました。研修医1年目に結婚し、新婚旅行にアメリカに行く予定
を組んでいました。ところが新婚旅行に旅立つ直前に学会からFinalistにノミネ
ートされたのでアメリカまでの旅費を出すから学会で発表するようにとの誘いが
ありました。そのころ、楠岡先生はアメリカのジョンズ・ホプキンス大学に留学
されていました。この学会が開催されたのが、なんと楠岡先生が居られたボルチ
モアでした。あまりに急に旅程を変更したのでボルチモアのホテルが取れていな
いままアメリカに向かいました。旅立つ前に井上先生から楠岡先生の電話番号を
教えてもらい、ロサンゼルスに着いてからお電話をさせて頂いたところ、大変喜
んでくださり、楠岡先生の自宅で泊まりなさいと言っていただき、ボルチモア空
港まで迎えに来てくださいました。この時、奥さんと娘さんにも温かく迎えてい
ただきました。娘さんは、幼稚園に通う年齢だったのですが、とても明るく、利
発でかわいらしいお子さんでした。英語が喋れるのは当たり前で、友達と楽しく
会話している様子で、フランス語を勉強していると聞き驚きました。家内と、こ
んな娘ができたら良いねと言って日本に帰国しました。発表の方は残念ながら受
賞には至らなかったのですが、他の候補者は皆大学院の学生で、指導教官がべっ
たり付いていました。その中良く検討した方だと納得しました。
 私は大学病院で研修した後、警察病院で循環器内科医としての厳しい指導を受
けましたが、その後、大学院に進学し、希望通り楠岡先生にご指導いただきまし
た。この時は、虚血再灌流後の心筋障害の原因と考えられていた一過性の細胞内
Caオーバーロードについて、更に心筋障害をきたす細胞内メカニズムを調べるこ
とを研究テーマとしました。楠岡先生に丁寧にご指導頂き、研究をまとめ、学位
を取得しました。楠岡先生からは、研究指導だけでなく、学会幹事として案内状
の記載方法、理事会に諮るための書類の作成からお礼状の書き方に至るまで、研
究者として生きていくために必要な諸々のことまで教えて頂きました。
 その後、楠岡先生は、再びジョンズ・ホプキンス大学に行かれ、帰国されてし
ばらくして国立大阪病院に異動され、院長を長くお勤めになりました。私の方は、
阪大病院移転の時に、医療情報部の助手に抜擢され、その後、この教室の助教授、
教授となっていました。ところが、楠岡先生が理事長として異動された後しばら
くして、大阪大学の渉外委員会で、私に大阪医療センターの院長になるように推
薦され、大阪医療センターに異動して参りました。そして今に至ります。思えば、
楠岡先生には、学生時代から今に至るまでご指導を頂いております。深いご縁を
頂いたことを心より幸運に思います。
 私の娘は、大阪教育大学池田附属小学校から高校まで進み、関西医大に入学し
ました。この学歴が楠岡先生の娘さんと同じでした。決して意図してそうなった
のではありません。年の差がありますので学校でお会いする機会はありませんで
したが、私の娘が楠岡先生の娘さんと知らず偶然お会いした時に、名前が松村で
私と顔が似ていることから私の娘ではないかと声をかけてくださったとのことで
した。私の娘は、私と家内が話していたことを聞いていて覚えていたようで、直
ぐに話がはずみ、LINEを交換して今も交流してもらっています。私とは新婚旅行
の時以来の再会でしたが、あの時の雰囲気をそのままお持ちで、私も楽しくお話
させていただきました。人の縁とは本当に不思議なものと思います。

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        アメリカでのコロナ禍で感じた医療環境の違い             
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                               池岡 邦泰

 当院へ赴任して3年が経ちました。前任地は米国オハイオ州クリーブランドに
て血管内治療の臨床研究留学をしておりました。当時米国で経験した最新のカテ
ーテル治療デバイスを当院に導入し実践することができ大変充実した日々を送っ
ております。
 今回は当時米国で経験したコロナ禍を振り返り日米の医療環境の違いをお話し
したいと思います。私が在籍していたCase Western Reserve大学は日本ではあま
りよく知られてないですが、ノーベル賞受賞者を15人輩出している名門大学だそ
うです。University Hospitals of Clevelandという大学病院は広大な大学敷地
内にあります。また、大学病院は多くのサテライト病院と密に連携しており、一
つの巨大な医療システムを構築していました。
 2020年3月に振り返ります。米国留学が始まって9ヶ月目にコロナ禍が始まりま
した。私が住んでいたオハイオ州においては3月9日に非常事態宣言が出され、仕
事は殆ど家からのテレワークに変わり会議にZoomが利用され始めました。当時大
統領選挙を控えている中、ミシガン州において感染のオーバシュートが起こり、
その原因として民主党予備選挙を行ったせいだという政治的バッシングに利用さ
れることもありました。3月後半になれば政府の指導もあり全米で米国人がマス
クやスカーフなどで口を塞いで外出するようになり、アメリカでは異様な光景で
あったことを覚えています。
 オハイオ州カヤホガ郡はクリーブランドを中心とした地域で人口は123万人と
されています。カヤホガ郡にはUniversity Hospitals of Clevelandだけでなく、
Cleveland Clinic、MetroHealthの3つの巨大な医療システムをはじめ医療機関
は充実しており、郡内のICU病床は794もあるため医療崩壊には至りませんでした
(ちなみに大阪府人口882万人・ICU513床)。ドライブスルー方式の無料検査場
が各地の病院駐車場で効率良く行われはじめました。4月には医療崩壊を想定し
て大学構内の巨大なキャンパスビルを軽症者用の臨時医療施設に改装され、最大
1000床までの臨時病床対応可としました。結局医療崩壊はなかったので、6月に
は臨時医療施設は解体の方針となっています。
 ワクチン接種も開始し米国コロナ禍終焉が見えてきた約1年後に日本に帰国し
当院へ赴任しました。その頃日本ではコロナ第5波が日本を襲っており医療崩壊
が叫ばれ大きな違和感を感じていました。米国では日本よりも圧倒的に患者数が
多いにも関わらず医療崩壊を起こさないのは、都市部を中心に巨大な医療システ
ムが構築されておりトップダウンでの臨機応変対応が可能であることだと思いま
す。コロナ禍の生活は大変でしたが、日米の医療環境の違いを経験できたのは貴
重であったかもしれません。

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          思い出の味~異動と共に出会えた味~         
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                             栄養管理室長 
                               内藤 裕子

 残暑厳しい折、いかがお過ごしでしょうか。
 今回は、異動と共に出会った食材やお料理、お酒などの思い出を紹介してみた
いと思います。
 宇多野病院で採用となり地元京都ということもあり仕事が終わってから、室長
や主任、調理師長たちと一緒に「さんまの懐石」や「鱧の落とし」など季節のお
料理とお酒を味わうことを覚え、世代を越えて楽しい時間を過ごしたのを思い出
します。兵庫中央病院では、宿舎での独り暮らしとなりました。着任1日目から
室長の宿舎で鍋を食べさせていただき、とてもうれしかったことを覚えています。
それからは「ぼたん鍋」や「寄せ鍋」を宿舎で準備からはじめ、栄養管理室のメ
ンバーだけでなく事務職員や医師、看護師、薬剤師などメディカルスタッフと共
に宿舎で囲み、まるで多職種合同の意見交換会のような状況でとても有意義な時
間を過ごさせていただきました。その時のいつもの日本酒は「剣菱」でした。贅
沢にも焼き松茸を食べたり、三田屋のハムも思い出です。南京都病院では、茶ど
ころ宇治の抹茶というよりは茶だんごを好み、裏山の筍や破竹をよくいただきま
した。そして、あわら病院では、蟹を食べる習慣のなかった私が、三国港のセイ
コ蟹や松葉カニを食べるようになり、日本酒は「一本気」、また病院の前にある
北新湖のうなぎやカワハギ、タコや新わかめ、熊の肉など、7年間勤務していた
ので新鮮で珍しい食材にたくさん出会いました。休日には病院の仲間と浜での
BBQやそば打ち、釣った魚をおろして刺身で食べた楽しかった思い出があります。
8番らーめん、ソースかつ丼も懐かしく、勝山のくるみ羽二重も絶品の和菓子で
す。東近江総合医療センターでは、なんといっても近江牛の焼肉、日本酒は
「松の司」、姫路医療センターでは、生姜醤油仕立てのおでん、アナゴ入り蒲鉾、
院内売店のたまごサンド、日本酒は「龍力」、そして大阪医療センターでは、食
いだおれの町大阪、粉もん文化のたこ焼きやお好み焼き、ソースの二度付け禁止
の串カツが大好きです。それぞれの土地でしか味わえない思い出の味となってい
ます。思い出せないくらいもっとたくさんの出会いがあったと思いますが、どれ
もこれも異動があったからこそ出会えた味に感謝です。
 食には、肉体を整え、エネルギーを与え、心を豊かにし、笑顔にしてくれる力
があると思います。「みなさま、朝は何をたべられましたか。」朝からしっかり
食べ、活力を養い、今日も1日笑顔でがんばりましょう。まだまだ、熱い日が続
いていますが、しっかり水分補給をし、よく食べ、よく寝、この残暑を共に乗り
越えましょう。

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                   看護のこころ
            自宅への退院を希望される患者さんへの看護を通して     
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                                西9階病棟 副看護師長
                                 井上 亜希

 盛夏の候、皆様、いかがお過ごしでしょうか。厳しい暑さが続いておりますが、
体調を崩されませんように、お気を付け下さい。
 私は、昨年11月に消化器外科病棟へ副看護師長として昇任しました。昇任前ま
では、消化器外科病棟・外科外来・消化器内科病棟で勤務し、消化器疾患患者さ
んの急性期・回復期・慢性期・終末期まで一連の看護の実践に取り組んで参りま
した。これまで習得してきた知識や技術を発揮できるよう、日々患者さんの看護、
スタッフの教育に励んでおります。消化器疾患患者さんは食事に関する問題を抱
えておられる方が多いのですが、その病棟での看護場面で私自身がとても心に残
っているエピソードがありますので、皆様にお伝えしたいと思います。
 消化器内科病棟で食道癌に対して化学療法を施行され、療養されている患者さ
んがおられました。その患者さんは食道狭窄により口からの食事摂取が困難なた
め、鼻からチューブを挿入して栄養剤を投与する経鼻経管栄養を行っていました。
退院後も経管栄養投与が必要であり、自宅で患者さんが自身で投与できるように
手技獲得へ向け練習に取り組んでいくこととなりました。しかし初めて使用する
物品の取り扱いは難しく、なかなか練習は進みませんでした。「転院ではなく、
絶対に自宅へ退院したい。」という患者さんの希望を叶えるためには手技獲得は
必要不可欠でした。そこで病棟スタッフはどのように患者さんと練習を進めれば
手技獲得ができるかをカンファレンスで何度も話し合い、同じ目標に向かって取
り組んでいきました。看護師は患者さんの視覚・聴覚・神経感覚・運動機能・認
知機能などを把握し、その患者さんに応じた練習方法を検討しています。この患
者さんは鼻にチューブが挿入され頬にテープで固定されており、チューブが見え
にくいため鏡を使用することで見えやすくしました。運動機能面からは片手では
できないことが多かったため、物品の配置や手の動かし方を工夫して、両手で実
施できるような手順にしました。また多くの手順を覚えることが難しかったため
手技を可能な限り簡素化し、パンフレットを作成しました。これらの内容を患者
さんと看護師とで取り組み、最終的に手技を獲得することができ自宅退院となり
ました。退院時に「もう大丈夫。自分でできるよ。いっぱい練習したからね。」
と笑顔で話されていたのがとても印象に残っています。自信を持つことができた
様子の患者さんのことや取り組んだことは今でも私の学び・経験として心に残っ
ています。
 このように患者さんが希望される生活や過ごし方に近づくことができるように、
看護師として今後も何ができるのかを日々考えながら、誠実に向き合い、また自
己成長していけるように精進して参りたいと思います。

ホームページ→https://osaka.hosp.go.jp/kango/index.html 

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             研 修 医 日 記        
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                              研修医2年目
                                                             酒井 康平

国立大阪の研修のココが凄い!
徹底した手技教育!
研修医数15人以上!(たすき3人 二年コース13人)
内科、外科、マイナー科など幅広い診療科を学べる!
大阪谷町4丁目の好立地なホスピタル!
国立魂!!

はじめまして、研修医2年目の酒井康平と申します。去年は先輩、先輩と頼って
いた僕も、後輩がいる立場となってしまいました。月日が流れるのも早いもので
すね。某大学CM風に冒頭で書かせていただきましたが、ここで研修して僕がよか
ったなと思うところを簡単にご紹介させていただきます。

研修:基本的な手技を確実に身につけられる点がウリです。救急外来や日常業務
を通して、ルート確保や鼠経採血はめちゃくちゃ上手くなります。ぽっちゃりさ
んもどんとこいです。他にも、Aライン挿入や、CV挿入、挿管、腰椎穿刺、骨髄
穿刺など様々な手技を身に付けることができます。

研修医の数:研修医の数が多いです。1年目が16人(たすき3人、2年コース13人)、
2年目が13人の計29人います。タイプとしては「自分に厳しく人には優しい、コ
ミュニケーションがしっかりとれる人」が多いなと感じています。だから人間関
係は良好です!研修医ルームが充実しているので、そこで一緒に仕事したり、リ
ラックスしたり、たまには愚痴りあったり楽しくやっています。

幅広い診療科:メジャー科が揃っているだけでなく、マイナー科も一通り揃って
います。マイナー科も選択期間で1年目からまわれるので、おすすめです。マイ
ナー外科であれば最短で1年目の7月に研修することが出来ます。僕は形成外科を
1年目の7月に回らせていただきました。

好立地:大阪市の真ん中、中央区の谷町4丁目にあります。梅田や淀屋橋といっ
た「キタ」と難波、天王寺といった「ミナミ」の間にあるのでどちらのアクセス
もいいですよ。また、病院周辺においしいご飯がいっぱいあります。個人的には、
エニタイムのジムの店舗が周辺に多くあり、トレーニングしたい部位とマシンで
店舗を選べるのがグッドポイントです。

以上、簡単ですがご紹介させていだだきました!
                       
臨床研修のホームページ→
https://osaka.hosp.go.jp/kyujin/syokikensyu/nikki/index.html
 
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総編集長:院長 松村 泰志
編 集 長:副院長 平尾 素宏 渋谷 博美
     看護部長 水戸 祥江
編   集:池永 祐子
発  行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
         (〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
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 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、気象庁の長期予報では来月も暖かい
空気に覆われ、気温は全国的に高いとのことです。また、来月には新型コロナウ
イルス感染拡大の第11波も落ち着いてくることを祈ります。皆さん、今月の連日
の炎暑でお疲れを出されませんよう、熱中症にもくれぐれもご用心ください。

408-osaka@mail.hosp.go.jp


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