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メールマガジン「法円坂」No.286 (2025/02/20)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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令和7年2月のメルマガです。皆さんお変わりございませんか。節分を過ぎ、春
も近いと思わせるようになりましたが、今月後半は再び強い寒気が流れ込み、冬
型の気圧配置となるとの予想です。外は寒いですが、家の中では雛人形の準備を
始められているご家庭もあると思います。
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メールマガジン「法円坂」No.286 (2025/2/20)
(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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今月号の目次
・院 長 松 村 泰 志
・就 任 の ご 挨 拶
・とある歴史の1ページから思いを馳せて
・看 護 の こ こ ろ
・研 修 医 日 記
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院長 松村 泰志 医療費の問題
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2月になり、さすがに寒くなってきました。他の地域では大雪で大変な様子で
すが、幸い大阪は雪が降らずに、寒いながらも過ごしやすい日々が続いています。
今月のテーマは先月に引き続き、病院の経営状況と医療費の問題についてです。
日本病院会会長の相澤先生が年頭の挨拶で、病院経営の問題は、政府行政よりも
国民に広く知ってもらうことが大切と発言され、その重要性に気づきました。
日本の医療にかかる費用は、公的保険でカバーされており、各医療費の価格は、
中央社会保険医療協議会(中医協)で支払い側と医療側が協議をして決められ、ど
の医療機関でも同じ価格が設定される公定価格です。通常の商品やサービスの価
格は、提供者側が自由に決めているのと大きく異なる点です。
国民皆保険制度が敷かれたのは1961年で、高度経済成長が始まっていた時でし
た。また、当時はそれほど高価な薬、医療機器もなかった時代でした。その後、
医療は高度化していきましたが、医療費の伸びと経済成長の伸びは平行しました
ので問題はありませんでした。この頃は、海外の優れた医療を早く日本で展開す
ることが求められていた時代でした。1990年にバブルが崩壊し、経済成長の勢い
はなくなりました。GDPは1997年から伸びなくなり、2022年度では対1997年度比
で4.4%増にとどまりました。一方、医療技術の方は、分子標的薬等の切れ味が
良いけれども高価な薬が登場し、医療機器も高性能の画像診断装置や手術ロボッ
ト等、高価なものが登場してきました。また、高齢化が進んだことで医療需要も
高まりました。その積算で医療費は決まります。1997年には28.9兆円だったとこ
ろ、2022年には46.7兆円と61.6%増となりました。
医療費の支払いは、税金で支払われる公費、保険料、個人負担、その他からな
ります。公費負担は、1995年では医療費の内の27.0%、2000年には30.1%にまで上
がりましたが、そこからの伸びはゆっくりで、2022年度では公費が37.8%、保険
料が50%、個人負担が11.6%でした。つまり、医療費の増は、公費負担の増でカ
バーした形ではなく、公費、保険料、個人負担のそれぞれが医療費の伸びと平行
して増えました。
日本の財政状態について財政制度等審議会の報告を見ますと、経済成長の鈍化
後、国債発行でしのいできましたが、これ以上の国債発行は危険とのことでした。
医療費が増え続けた場合、公費を増やすことができそうになく、また保険料も限
界に来ているように見えます。こうした背景から、医療費抑制が社会的命題とな
っています。
医療費は、医療需要の増加と医療の高度化の積算で増えると申しましたが、医
療需要については、まだ高齢者が増えますので、2040年ぐらいでピークとなり、
その後も勢いよく減るわけではないと予想されています。一方、医療の高度化が
どこまで医療費を上げるのかは未知数ですが、何か特別のことが起こらない限り
増え続けると予想します。つまり、医療費は、まだまだ増える傾向にあります。
一方、支払い側は、まったく余力がない状況です。この2つの相反する圧力がぶ
つかり合っているのが今の時代であり、その歪を病院が一手に受けているように
感じます。具体的には診療報酬点数の理不尽な抑制です。レストランで食事をと
る場合、その値段は、材料費に人件費と店舗の維持にかかる費用を顧客の数等で
按分した額を足して原価とし、そこを基準に定めます。周囲のレストランの価格
帯を大きく超えてしまうと顧客を失いますので、そのバランスを取りながら、利
益を確保できる提供価格を決めていくのだろうと思います。決して、支払い側の
財布の都合で値段が強制的に決められることはありません。ところが医療の場合、
有無も言わさず支払い側の財布の都合で値段が決まります。これまでは、ある程
度、医療提供側に利益が出るぐらいの値段設定がされていたのであまり問題にな
りませんでしたが、今は、財布の事情が厳しくなったからとの理由で値段が据え
置かれています。そもそも、公定価格ですから、医療機関側に原価を算出する習
慣がありません。どうも日本では、ちゃんと原価を求めないまま値段が定められ、
前年度に対する増減で調整されている様子です。当院でも、病院全体の収益と勘
定科目毎に費用は精緻に分かりますが、各患者さんにかかる費用を精緻には求め
られておらず、個々の診療報酬点数が妥当なのかの判断基準がありません。しか
し、これを総計した経営指標が極めて悪いということは、一部の医療費が原価割
れしているものと思われます。コロナ禍のための受診控えにより入院患者数が減
ったことが経営悪化の原因であるかのように言われていますが、実際にはそれだ
けではありません。当院でも、十分な患者数を治療している月でも赤字を計上し
ています。コロナ禍の間にこの問題は徐々に大きくなっていましたが、コロナ禍
での変動要因が多く、マスクされて気づかなかったのです。
私なりに、どこに費用がかかるようになったのかを分析しました。令和元年と
今年度推定との差では、医業収益は38.8億円の増でしたが、診療業務費は49.7億
円の増と収益以上に増え、収支差は10.9億円の減でした。材料費が24.2億円の増、
給与費が11.4億の増と、この2つが費用増の多くを占めますが、材料費は診療の
活動性が高まれば上昇し、償還材料は請求できますので収益増にも寄与します。
そこで、材料費から償還材料の収益を引いて実質的な材料費負担分(償還材料の
差益減と非償還材料のコスト増)を算出しますと3.4億円の増となっていました。
人件費も、診療業務の活動により増加し、収益増に寄与しますが、休暇日数等の
増は純粋な負担増となり、これが1.1億円の増でした。その他、委託費は3.0億円
増、修繕費等の減価償却費を除いた設備費は3.2億円増、水道光熱費を含む経費
は3.3億円増でした。つまり、物価・人件費等の諸経費の増と一般に言われる分
は具体的には14億円と計算され、この分は診療報酬点数に上乗せされていないの
です。更に、古くなった機器を更新する必要がありますが、前回の購入価よりも
かなり高くなっていることがほとんどです。減価償却費が、その装置を使った診
断・治療で得られる収益の減価償却期間の積み上げ分よりも高くなるものが多く
あります。また、当院の建物は古くなっていますので、病院を建て替える必要が
あり、そのための費用も計上する必要がありますが、診療報酬にこれの上乗せ分
はないように見えます。
アメリカでは、医療においても自由主義経済を通しており、他のサービス同様、
医療にかかる値段は市場原理で定められます。しかし、アメリカでも保険の仕組
みがあり、民間の保険会社が大きな力をもって医療費をコントロールしています。
では、アメリカの医療費と日本の医療費はどれぐらい違うのでしょうか。そう疑
問に思い調べてもらっているのですが、合併症のない胃がんの手術や虫垂炎の手
術治療で比較してもらったところ、アメリカの医療費を調査可能な範囲の病院の
中央値で比較しても、日本の医療費の2倍以上の開きがありました。この調査が
まとまりましたら、改めて報告したいと思います。アメリカが良いとは思いませ
んが、いかに日本の医療費が理不尽に抑えられているかを物語っているように思
います。
この難しい問題にどう対応するべきなのか簡単に答えを得ることはできません
が、これまでの制度に変更を加えるべき時期が来ているように思います。こうし
た時に重要なことは、原点に立ち返って「限られた予算の中で、いかにして国民
の多くの命を守るのか」との課題を再確認し、問題をごまかさず、定量的に正し
く把握することから着手すべきと思います。
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就任のご挨拶
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集中治療部長
西田 朋代
本年1月より大阪医療センター 集中治療部長を拝命しました、西田朋代と申し
ます。私は1990年に大阪大学を卒業し、母校の麻酔学教室に入局しました。
入局理由は、当時の教授(吉矢生人先生)の呼吸の病態生理の授業が面白かったか
らです。以後、麻酔科医として済生会富田林病院、大阪母子医療センター、関西
労災病院で勤務したのち、兵庫医科大学のICUで初めて集中治療医として勤務し
ました。その後、当時の上司の勧めでアメリカのマサチューセッツ総合病院にて
急性肺傷害の研究に従事する機会を得ました。帰国後は、大阪急性期・総合医療
センターの麻酔科に勤務後、国立循環器病研究センターにて心臓外科術後を診る
集中治療科で勤務しました。その後、出産に伴い、非常勤の麻酔科医として勤務
したり、そのときどきでワークライフバランスをとりながら、いろいろな病院で
麻酔科医、あるいは、集中治療医として勤務をしてきました。2017年から5年間
勤務した大阪市立総合医療センターのICUでは、新型コロナウィルス感染症の重
症患者対応にも関わりました。麻酔科医として勤務した期間も長いですが、ICU
に入室する症例は手術後の割合が多いので、麻酔科医としての経験が非常に役に
立っていると感じています。
ここ大阪医療センターのICUの始まりは2005年にオープンICUとして開始されまし
た。その後、2017年に集中治療を専門とする医師が部長として就任され、2019年
から昨年3月までは2代目の部長がICUを管理されておられました。この間に2代目
部長のご指導の下、1名集中治療専門医が誕生しています。以後、本年1月に私が
来るまでは部長席は空席でしたが、その間、集中治療専門医である麻酔科医2名
と診療看護師および各診療科やコメディカルの協力でICU運営がされていました。
2022年に集中治療医の長年の悲願であった集中治療科の標榜が厚生労働省より許
可されたことから、ICUの重要性はますます認識されるようになっていることが
わかります。当院は高度医療をしておりICUのニーズが高いですが、そのニーズ
に応えるための体制が充分とはいえません。将来的には集中治療科を掲げ、しっ
かりと体制を整えていきたいと思います。まずは、集中治療医を当院で育成し続
けていく必要があります。また、各診療科との連携も大切に頑張っていきたいと
思います。
皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。
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とある歴史の1ページから思いを馳せて
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麻酔科副科長(医長)
天野 栄三
つい数週間前、天王寺駅から谷町筋を北上しやや西に逸れた辺りにひっそりと佇
む、安居神社という神社にたまたま立ち寄る機会がありました。安居神社は決し
て規模の大きな神社ではありませんが、一種独特の趣ある風情を感じました。後
日、調べてみると、学問の神として親しまれる菅原道真を祀る歴史ある古社であ
ることを知りました。昌泰4年(901)、菅原道真が九州・大宰府に左遷された際に、
出向する船の風待ちのためここへ立ち寄って休憩(安井)したことからその名が付
いた、また、四天王寺の僧侶が当社で夏安居(げあんご:雨季の間に外出を控え
寺院で修行に専念すること)を行っていたので、「安井」が「安居」となったと
も言われているそうです。
当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家の紋所「梅
鉢」をもらい、これが、今でも大阪名物の「粟おこし」の商標の梅鉢となったそ
うです。安居神社は、その道真の死後の天慶5(942)年、道真の霊を祀るため、村
人たちによって建立されました。
そしてこの安居神社は、時が流れて慶長20(1615)年、大坂夏の陣で戦った真田幸
村の戦没地としても知られ、境内には、真田幸村が力尽きたと伝わる松の木「さ
なだ松」もあり、真田幸村ファンが多く訪れる隠れたパワースポット的聖地でも
あったのです。
ともすれば何気なく通り過ぎ、その存在に気づくことすらなかったかもしれない
この神社に、奥深い歴史があることを知り、感慨を覚えました。
大阪を象徴する大坂城はもちろんのこと、天王寺区玉造には、冬の陣で大坂城唯
一の弱点とされた東南に築かれた出城、真田丸の跡地として有名な三光神社、近
接する真田山公園、その周囲には、玉造幸村ロードとも呼ばれる商店街など、大
阪医療センターの近辺には、実は真田幸村に縁ある地が数多くあることに気づか
されます。
平成28(2016)年にNHKで「真田丸」が、大河ドラマ化されたことは記憶に新しい
ところです。
我々が日々勤務する大阪医療センターは、いわゆる「大阪市歴史の散歩道」の真
っただ中に位置し、例えばこの真田幸村という戦国武将1人を取り上げてみても、
そのゆかりある沢山の名勝地に囲まれた環境にあることに、ふと思いを馳せると、
とても不思議な感覚になるのです。
当センターが前身の国立大阪病院から、2004年に独立行政法人化してから、ちょ
うど20年になります。真田幸村が自分の信念に命を懸け、戦い抜いた戦国の時代
からの約400年という時間に比べると、はるかに短いわけですが、たかだかこの
20年を振り返ってみても、急速なテクノロジーの発展と共に時代は大きく動き、
様々なことが変遷してきました。そして今後はさらに、AIやIOT、自動化の進化
が加速し、医療の分野においても急激な変化を遂げていくことと思われます。し
かし、たとえ時代や環境が如何に変化したとしても、心や思いだけは変わらない
と信じたいと思います。我々が今、大事と思うこと、伝えたいと思うこと、残し
ておきたいと思うことを、次の世代に繋いでいきたいと、思うばかりです。真田
幸村の正式な名は信繁(のぶしげ)、すなわち、信じて繋ぐ、と書きます。完全に
独りよがりのこじつけ的自己解釈ですが、そんな他愛もない勝手な理由をつけて
でも、今を生きる自分の役割を思う今日この頃です。
安居神社は、「大阪市歴史の散歩道」、上町台地北コース史跡リストにしっかり
と入っておりました。興味を持たれた方は、是非一度訪れてみて下さい。
以上、とりとめもない手記に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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看護のこころ
「急性期看護を通して感じたこと」
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救命救急センターHCU
副看護師長
若宮 衣里子
暦の上ではもう春ですが、まだまだ寒い日が続いております。春の便りが待ち
遠しく感じます。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は去年の4月から救命救急センターの副看護師長として働いています。もと
もと救命救急センターで10年ほどの経験があったのですが、久しぶりの救命救急
センターでの看護に少し緊張感を感じながらこの1年間働いてきました。
当院の救命救急センターは、3次救急があり外傷や心肺停止状態で搬送されてく
る患者さんが多くおられます。そんな中で私が以前、救命救急センターICUで勤
務していたときに、火災で重度の全身熱傷を負い搬送されてきた患者さんがいま
した。予後熱傷指数といわれる生存可能性を算出する指数では97(100に近いほど
予後が悪くなります)とかなりの重症熱傷でした。人工呼吸器管理を行い集中治
療が行われました。熱傷の患者さんは毎日創の処置を行います。創部の観察を行
い、感染しないよう洗浄し薬剤を塗布したり、擦れたりしないようにガーゼで保
護したりするのですが、この患者さんは熱傷の範囲が広く、また背部や臀部にも
及んでいたため、毎日医師と看護師4~5人で処置を行っていました。処置中は体
温が下がりやすいため、部屋の温度を高く設定しますが、医療者は感染予防のた
め長袖ガウンを着て処置を行っていました。毎日汗だくになりながら処置を行っ
ていましたが、患者さんの状態は変わらず、当時の私は毎日こんなに頑張ってい
るのに、患者さんが回復しない状況に、涙することがありました。そんな私をみ
ていた先輩に「あなたがすごく頑張っているのを患者さんはわかっているし、私
たちもちゃんとわかっているからね、もう少し患者さんが元気になった姿をみら
れるように頑張ろう。」と声をかけてくれました。先輩のこの言葉を聞いたとき、
私は自分のことばかり考えて、いちばん頑張っている患者さんのことを考えられ
ていないことに気が付きました。その後、時間はかかりましたが、患者さんは車
いすに乗って退院できるぐらいに元気になりました。
救命救急センターから一般病棟へ転室したあと、私が病棟に会いに行くとちょ
うど病室でリハビリをされているところでした。患者さんは私とじゃんけんをし
てくれました。たわいない行動ですが、とてもうれしく感じました。病院に運ば
れてきたときは生死をさまよっていた患者さんがこんなに元気になられたことに、
こみあげてくる思いがありました。
救命救急センターでは、搬送されてきたときには意識がない患者さんも多く、
その時に関わった私たちは顔も名前も覚えられることはないかもしれません。し
かし私たちの看護は、重症な患者さんが回復していくためにとても重要なことだ
ということを、今度は私自身がスタッフに伝えることにより、救命救急センター
での看護のやりがいや楽しさにつなげていきたいと思いながら日々働いています。
ホームページ→https://osaka.hosp.go.jp/kango/index.html
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研 修 医 日 記
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研修医2年目
増田 博紀
はじめまして。初期研修医2年目の増田と申します。今回は初期研修の病院選び
の一つの大きな要素である、立地という面についてお話ししたいと思います。
当院は大阪城から住吉に連なる上町台地に位置し、大阪市の中でも比較的住環境
が整っているとされるエリアにあります。至近距離にはスーパーマーケット(イ
ズミヤ)やドン・キホーテがあり、日常の買い物にも困りません。
交通の便は特に優れています。当院の最寄りは谷町四丁目駅ですが、谷町六丁目
駅へも徒歩10分以内です。大阪メトロ谷町線で東梅田や天王寺へ、長堀鶴見緑地
線で心斎橋へと、中心地に乗り換えなしで向かうことができます。2025年にはご
存じのとおり大阪万博が開催され、9月には大阪公立大学の新キャンパスが開設
されるなど、大阪メトロ中央線の沿線もますます賑やかになりそうです。電車に
加えて自転車やバイク、車と組み合わせると、より行動範囲が拡がります。
今後当院での初期研修を考えていらっしゃる皆さんも、この素晴らしい立地を活
かして仕事終わりや週末を楽しまれてはいかがでしょうか。
臨床研修のホームページ→
https://osaka.hosp.go.jp/kyujin/syokikensyu/nikki/index.html
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総編集長:院長 松村 泰志
編 集 長:副院長 平尾 素宏 渋谷 博美
看護部長 水戸 祥江
編 集:池永 祐子
発 行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
(〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
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まだまだ寒さは続きますが、梅のつぼみもほころび、来月からは春を待ちかね
る日々です。しかし、三寒四温の時節柄、皆さん何卒ご自愛くださいますようお
願いいたします。
408-osaka@mail.hosp.go.jp
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