Back

メールマガジン「法円坂」No.289 (2025/5/21)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)




 令和7年5月のメルマガです。新緑が目に鮮やかな、すがすがしい季節となりま
したが、皆さまいかがお過ごしですか。先月の13日から「いのち輝く未来社会の
デザイン」をテーマに、夢洲で大阪関西万博EXPO2025が始まりました。10月中旬
までの開催期間とても楽しみですね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   メールマガジン「法円坂」No.289 (2025/5/21)
          (独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今月号の目次
 ・院  長  松  村 泰  志
 ・臨床検査科科長(臨床検査)就任のご挨拶
 ・臨床検査科科長(病理)就任のご挨拶 
 ・看 護 の こ こ ろ
 ・研 修 医 日 記

====================================
         院長  松村 泰志   医師の残業時間が長くなる原因
====================================

 若葉が茂る季節となりました。山際に近づきますと、山が若葉色に色づいてい
るのに気付きます。森の中に入りますと、若葉の木に囲まれて、新しい命のエネ
ルギーが降り注いでいるようで、気持ちがリフレッシュされます。森は、紅葉の
季節が賛美されますが、この時期の森にも特別な美しさがあります。
 テレビでニュースαの番組を見ていた時、新入社員の意識調査の結果が報じら
れていました。ワーク重視かライフ重視かの問いに対して、6割がワーク重視と
回答していました。30代、40代の社員の回答と比較し、年代が進むに従ってライ
フと答える比率が多くなっていました。若い世代ほどライフ重視との印象を持っ
ていましたので今の若者も頼もしいなと思いました。ところが、次にワーク重視
と答えた人に週にどれぐらいまで残業を許容しますかとの問いに対して、1~5時
間までとの回答が4割だったとのことです。この率は30代と変わらなかったとの
ことです。つまり気持ちはワーク重視だけれども、自分の時間をどこまで仕事に
費やすかは別問題のようです。私は、この回答を聞いて、ちょっとショックを受
けました。
 昨年度から医師の働き方改革が施行されました。これは法律で最大残業時間を
年960時間までに規定するものです。この案が提示された時、とても無理だとの
反応が多く寄せられたために、特別な条件を満たせば当面は1860時間まで可とな
りました。年間960時間は、週平均20時間ですから、先のアンケートとはかけ離
れたレベルです。大阪医療センターでは、特別枠の申請はせずに全医師で残業時
間の上限を960時間としました。昨年度は、かなり注意していたのですが、この
上限を超える医師がでてしまいました。しかし、当院の1日就業時間は7時間45分
であり、法律では8時間ですので、法律の基準では960時間を超えていなかったと
のことで、ほっと胸をなで下ろした状況です。当院でも、あれこれと工夫をして
調整しないと、この基準を満たすことができないのです。
 なぜ病院の医師は残業が長くなってしまうのでしょうか。一つには、単純にす
べきことが多いということがあります。外来診療、入院患者さんの回診、医師で
しかできない検査、手術等、患者さん、家族への説明、診療録、退院時サマリの
記載、紹介医師への返書の作成、患者さんから求められる診断書等の作成等、非
常に多くの仕事をこなさなければなりません。これらは他の業種でも似たような
ことがあると思いますし、一般的にも理解して頂いていることかと思います。し
かし、病院の特に当院のような急性期病院では、これだけが原因ではありません。
残業が長くなる根本的な原因が他にあるのです。これについては、あまり一般に
は理解されていないように思います。病院には24時間365日患者さんがおられま
す。しかも当院のような救急医療を担う病院では、夜間であれ、土日祝日であれ、
患者さんが来られますし、中には緊急手術が必要な人もおられます。1週間は決
して40時間ではありません。168時間あります。ここまで説明すれば、お察し頂
けたと思いますが、残りの128時間を、誰がどう担当するのかという問題がある
のです。大阪医療センターでは、常に10人の医師が病院に常駐する体制をとって
います。これで済むのであれば良いのですが、緊急手術が必要な患者さんが来ら
れたら、オンコールで待機している医師に連絡を取って、直ぐに集まって治療を
進めなければなりません。手術は1人ではできませんから、複数のスタッフが呼
ばれます。手術は数時間で終わりますが、そこで帰宅できるわけではありません。
術後管理の仕事をしなければなりません。通常勤務のスタッフが来るまで、少人
数でしのがなければならないのです。引き継げてやれやれと帰宅できたら良いの
ですが、次の日は外来担当で沢山の予約患者さんの診療を予定しているといった
ことが起こってしまいます。夜間、休日の緊急手術がまれなことであれば良いの
ですが、平均すればほぼ毎日あるのです。
 私は卒業して1年の研修の後、循環器内科を選択したのですが、医局長から
「君は警察病院に行ってくれ」と告げられました。警察病院の循環器内科は厳し
いことで有名で、戦場に行けと言われたのも同然でした。「赤紙が来てしまった」
と青くなっている私を見て、同期の友人からは「気の毒にと」と労るように言わ
れたのを覚えています。カンファレンスが夜中の12時を過ぎ、帰宅して食事をし、
風呂に入って2時頃にやれやれと床につきます。ところが明け方の4時頃に電話で
叩き起こされて、「心筋梗塞の患者が来られたので来てください」と言われ、急
いで病院に駆けつけ、緊急カテーテル治療に関わります。そして次の日は普通に
通常の業務が始まり、終わるのは夜中の12時です。こんな生活が週に2回ほどの
頻度であります。ゴールデンウィークの前日に当直をしていた時に重症の心不全
のおばあさんが搬送されて来ました。当時は完全主治医制でしたので、入院後も
私が担当することになります。心臓がわずかにしか動いていない状態で、かなり
厳しいことを家族に告げたところ、私達は明日から旅行に出かけるのでよろしく
と、全てを私に任せるようなことを言って去って行かれました。私のゴールデン
ウィークは吹っ飛び、それから毎日病院で寝泊まりしておばあさんと私の闘病の
日々が続きました。私は新婚の頃でしたので、家内はゴールデンウィークを楽し
みにしていたと思いますが、文句も言わず着替えを病院に運ぶ役をせっせとして
くれていました。
 今は、法律でこのような勤務をさせてはならないとされ、交代勤務体制をとっ
ていますので、今の若い先生方は、昔よりはましだとは思いますが、病院が24時
間365日機能しなければならない状況は変わりませんので、似たような状況はあ
ると思います。
 私の若い頃の昭和の時代と今の令和の時代では大きく変わったことがあります。
昭和の時代は、妻は専業主婦であることが多かったのに対し、令和の時代では、
男女共に働くのが普通です。しかも、今は女性医師が多くなっています。私がむ
ちゃくちゃな勤務ができたのは、家内が子供達を守ってくれていたからです。夫
婦のどちらかは子供の面倒を見る必要がありますから、夜間の勤務があったとし
ても計画的でなければなりません。特に、子供が小さい頃は、母親は夜勤をしな
くて良いようにしなければなりません。こうした時代の変化に応じるためには、
医師の数を増やすしかありません。大阪医療センターでも警察病院でも、当時の
倍ほどの医師が勤務して何とかしのいでいます。おそらく地方の病院では、それ
も難しく、昭和時代の状況が今も続いているのかもしれません。難しい問題です。
地方の知事が、都会で医師を確保しすぎているので地方に医師が回ってこないと、
医師の偏在対策として強制的に地方で医師が勤務する体制を作ろうと躍起になっ
ています。地方で困っていることも理解はしますが、だからと言って都会の医師
が余っている状況にはありません。今の人数がなければ、病院が24時間365日活
動することは難しいのです。今の人数でも十分ではないので、960時間ぎりぎり
の残業になってしまう医師がでてしまっています。
 医師不足と聞くと医学部定員を増やすべきとの声が上がります。しかし、今対
策しなければならないのは、病院勤務の医師を増やすことです。医師は医学部を
卒業した後、殆どの人が病院勤務をします。ですので、なるべく長く病院勤務を
続ける気持ちになってもらう対策が有効です。病院の医師もライフを楽しむ余裕
があり、開業医と同じぐらいの収入が得られたら、病院勤務を続けようとする人
は増えます。とどのつまりは、診療報酬をこれができるレベルに引き上げること
が解決の第一歩です。都会の勤務医が溢れるほどになれば、地方で働こうとする
人も出てきます。ところが、今の医療政策を担う人達からは、「医療Dxの推進」
であるとか「タスクシフトの推進」との言葉しか聞こえてきません。これらも必
要ですが、週の法廷労働時間以外の128時間にどう対応するかが問題との残業を
増やす根本原因を理解いただければ、これらで解決できる問題でないことは明ら
かかと思います。医療では誤診をすれば治癒させることはできません。医療政策
を担う人には、問題に対して正しく診断していただきたいと思います。

====================================
          臨床検査科科長(臨床検査)就任のご挨拶         
====================================

                        臨床検査診断部 部長
                                               臨床検査科 科長(臨床検査)
                                                               森 淸
  
 皆様、こんにちは。森 淸と申します。この4月から臨床検査診断部長/臨床
検査科長(臨床検査)として新たな役割を担うことになりました。先輩方や同僚の
方々地域の先生方に支えられこれまでの14年間、この病院で歩んでこられたこと
を感謝すると共に、臨床検査診断部/臨床検査科を統括することに身の引き締ま
る思いです。
 さて、先代の眞能正幸先生から私が引き継いだと考えるものは、①職員が働き
やすい環境、②様々な状況に対応し得るチーム、③若手職員の教育体制、そして
④検査は実臨床の中で生きているという思想だと思っています。眞能先生が陣頭
に立ち築いてこられた臨床検査科は、運営において極めて組織だった体制が組み
あがっており、私がこれを引き継ぎやがては次代に受け継いでもらうことができ
るように維持・発展させていきたいと考えています。
 また眞能先生から学んだ重要なことは、時代のニーズの把握とスピード感のあ
る対応の重要性だと思います。海外治験の豊富な当院では、臨床検査の国際規格
ISO15189認定は当然必要な対応でした。またコロナ禍でのいち早いSARS-CoV2院
内検査導入と低コストでの最適化などの経営努力が払われました。このようなよ
いお手本を糧に、先の読めないこれからの時代に対応したいと思います。
 さて、以下は自己紹介です。私の履歴については当院ホームページの当科スタ
ッフ紹介欄をご参照いただきたく思います。趣味は毎日のぎゅうぎゅうの通勤電
車の中での読書程度です。読書習慣のきっかけは、大学受験時代、本屋さんでた
またま手に取った司馬遼太郎さんの「花神」でした(花神とは、中国語での花咲
じじいの意味)。昔の大河ドラマで描かれたことを知ったのはその後何年も経っ
てからのことですが、その面白さにのめりこむようにして読み進めていったこと
を思い出します。今でもたまに思い出したように茶色く日焼けしぼろぼろになっ
たこの単行本を読み返すこともあります。主人公の村田蔵六(大村益次郎)は明
治2年、京都で刺客に襲われ受けた傷がもとで敗血症から亡くなりますが、運び
込まれた先が上本町から法円坂に移転したての浪華仮病院改め大坂府医学校病院
であり、当院南側駐車場はその跡地とされています。この小説の一ファンとして
は得も言われぬ縁を感じる次第です。「花神」談義に花を咲かせたい方もそうでな
い方も、どうぞ臨床検査科の門をたたいていただきたいと思います。
皆様、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

====================================
            臨床検査科科長(病理)就任のご挨拶         
====================================

                                            臨床検査科科長(病理)
                                                            廣瀬 由美子

 2025年4月に臨床検査科科長(病理)に就任いたしました廣瀬由美子と申します。
私は2006年に信州大学を卒業し、大阪府立急性期・総合医療センターでの初期臨
床研修、大阪大学医学部附属病院での後期研修および助教としての勤務を経て、
2021年から当院に在籍しております。当院では、これまでも様々な科の方々にお
世話になりつつ研鑽を積んで参りましたが、開かれた病理部門を目指して今後さ
らに最善を尽くしてゆく所存です。
 臨床検査科が扱う各種検査は、血液検査や生理機能検査などのように、臨床医
に直接数値が返却され、臨床医が結果を解釈するものが主体です。一方病理部門
は、病理組織診断、細胞診(採取した細胞を用いた疾患スクリーニング検査)、病
理解剖を担当しており、いずれも臨床医が組織・細胞像を解釈するのではなく、
病理医あるいは検査技師が報告書を作成し、臨床医に返却します。そのため医療
従事者ですら、検体を提出するとよくわからないままに時間が経ち、そのうち結
果が返ってくるブラックボックスのような存在との印象をもっているのではない
かと感じることがあります。病理診断を依頼される際、病変の一部をとって検査
に出せば診断名が確定するはず、と考える方もおられると思いますが、実際診断
を困難にする要素は多岐にわたります。壊死や炎症、周囲の反応性変化をきたし
た組織と、主病変成分の鑑別が難しい場合もありますし、病気の種類によっては、
背景の臓器をどのように変化させているかが重要なポイントになってくることも
あり、病的な領域のみを少量取っただけでは判断ができない場合があります。最
も基本的なヘマトキシリン・エオジン染色の標本のみで判断がつかない場合には、
必要に応じて特殊染色、免疫組織化学染色の追加を考慮します。また近年ではゲ
ノム遺伝子の異常が診断の決め手となる疾患も増加しており、遺伝子検査を追加
することもあります。もちろん、臨床情報(年齢・性別・病歴・治療歴)や他の検
査結果などを合わせた考察も必須です。このように、一枚のガラスを評価するた
めにも様々なステップが必要であり、それぞれのステップごとに手間、コスト、
時間がかかってきます。臨床医の求める的確な病理診断を行うためには、患者さ
んの状況や臨床医の所感も含めた緊密な情報共有が必須であると、日々感じてお
ります。小さな相談事であっても、病理に関する質問や情報共有事項があれば、
ぜひお気軽にご連絡ください。
 病理専門医は全国で2,789名(2025年4月現在)と深刻な人手不足に陥っており、
当院も決して人員が充足しているわけではありません。しかし当院では臨床の先
生方が日々熱心に診療にあたられており、それに応えるべく、当部門もコンパニ
オン診断や遺伝子検査など、最先端の検査にも可能な限り対応するよう努めてお
ります。業務の効率化や円滑な部門運営を図り、様々な科の皆様とコミュニケー
ションを取りながら病理診断の質を確保していきたいと考えておりますので、今
後ともどうぞよろしくお願いいたします。

====================================
                   看護のこころ
                     ~継続看護の必要性~
====================================

                                   西5階病棟 副看護師長 
                                                             山門 生子

 向暑の候、梅雨入り前の暑さを感じる季節となりました。
私は副看護師長として小児整形・産科病棟で勤務し、第1子出産後、1年間の育
児休業を経て復職しました。久しぶりの現場復帰で不安を感じていましたが、家
族と職場の支援により、育児と仕事の両立を行うことが出来ています。また新年
度が始まり、新しい職員を迎えて、スタッフと共に地域に根付く大阪医療センタ
ーの産科を盛り上げていきたいと考えています。
 当院の助産師は、産科外来も担当しています。妊娠反応が確認できた妊娠初期
から助産師が関わっています。妊娠中の異常の有無や精神面でのサポート体制、
産後の支援体制などに問題がないか医師と情報を共有しながら、妊娠期から分娩
・産褥期まで妊産褥婦に寄り添った看護を実施しています。
 今回、自身の看護を振り返る機会をいただきましたので、特に印象に残ってい
る患者様との関わりについて、お話をしたいと思います。
 Aさんは、初産婦で、短期記憶が難しい中で皮下注射の手技を獲得する必要が
ありました。しかし、Aさんには、身近に支援してくれる人が少なく、地域の支
援が必要でした。私は、Aさんを妊娠期から受け持つこととなり、退院後の生活
を見据えた育児技術の習得に重点をおき関わることにしました。外来の通院中は、
必要に応じて助産師の間で情報の共有を行い、妊婦健診後に面談を行い、皮下注
射の実施や、自宅での様子、産後の準備の確認を行いました。Aさんだけでなく
支援者である家族も産後のイメージが持てるように、家族の方へもベビー人形を
用いて沐浴を実施しました。産後は日々の育児技術の習得状況をみながら家族に
対しても育児の協力が得られるように関わりました。退院前に、産科医師・ソー
シャルワーカー・地域の保健師・訪問看護師を交えたカンファレンスを行い、保
健師へ繋げる事が出来ました。1か月検診を終えた後も、産科に顔を見せにきて
くださるなど、退院後も関係性が続きました。
 私は、病院がAさんにとって、頼ってもいい場所の一つになれたのかな、と思
ったと同時に、笑顔で育児が出来ているAさんの様子を見る事が出来、助産師と
して嬉しく感じました。このことから助産師は、妊娠中から関係性を築き、継続
して関わることの必要性と、患者さんの思いに寄り添った看護を行っていく事の
大切さを学びました。
 今も病棟ではハイリスク患者さんのカンファレンスを実施し、情報の共有と指
導内容の検討を行っています。妊娠初期から産褥期まで継続して看護が実践でき
るように、病棟全体で取り組んでいきたいと思います。
 
ホームページ→https://osaka.hosp.go.jp/kango/index.html 

====================================
             研 修 医 日 記        
====================================

                             研修医2年目
                                                         久保田 理子

大阪医療センター研修医の久保田と申します。

2年目の5月を迎え、同期たちの進路が次々と決まり始めるなか、研修医という守
られた立場の終わりが着々と近づいていることを、ひしひしと感じています。

医師免許を取得してからまだわずか1年しか経っていませんが、振り返ってみる
と、この1年間はこれまでの20数年の中で最も長く感じられた時間だったように
思います。日直・当直などで単純に活動時間が増えたこともあるかもしれません
し、あるいは日々新しい経験に満ちていたからかもしれません。その理由は定か
ではありませんが、ともかく今思うのは「楽しかったなぁ」という、肩の力が抜
けた感想です。

この研修医日記にたどり着いた方は、おそらく当院を研修先として真剣に検討し
ている医学生の方か、あるいは私の名前をネットで検索してみた方かと思います。
多くは前者だと推測します。当院での研修の魅力については、これまでにもたび
たび紹介されていますので、ぜひその熱心な探究心で読み進めていただければと
思います。

少し主語の大きな表現にはなってしまいますが、私は「研修生活は病院によって
大きく変わるものではない」と考えています。2年間という限られた時間で何を学
べるかは、病院の違い以上に、自分がどのような姿勢で取り組むかによって決ま
るのではないでしょうか。「初期研修中は希望診療科に関わらず、なんでもやり
ます」というマインドさえあれば、どの病院でも経験は加速度的に広がっていく
と思います。

そうした前提のもとで、「自分の夢を叶えるにはこの病院が最適かもしれない」と
感じられた方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度、見学にお越しください。

熱い志を持った研修医の歩みが、今後も絶えることなく続いていくことを願って
います。
                   
臨床研修のホームページ→
https://osaka.hosp.go.jp/kyujin/syokikensyu/nikki/index.html
 
************************************************************************
総編集長:院長 松村 泰志
編 集 長:副院長 平尾 素宏 渋谷 博美
     看護部長 水戸 祥江
編   集:池永 祐子
発  行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
         (〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
************************************************************************
 来月の今頃は、色とりどりのアジサイが綺麗に花を咲かせてくれるでしょう。
皆さま体調には十分ご留意ください。

408-osaka@mail.hosp.go.jp


Back