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メールマガジン「法円坂」No.294 (2025/10/20)(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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10月に入りましたが、まだ半袖で過ごすことも多く、秋の気配を待っている方
も多いのではないでしょうか。今年の十五夜・中秋の名月は10月6日でした。月
は地球温暖化をよそにきれいに空を照らしていました。
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メールマガジン「法円坂」No.294 (2025/10/20)
(独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター)
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今月号の目次
・院 長 松 村 泰 志
・放 射 線 治 療 の ピ ン チ!?
・血 液 型 、 不 規 則 抗 体 に つ い て
・看 護 の こ こ ろ
・研 修 医 日 記
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院長 松村 泰志 あわら病院を訪問して
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10月半ばとなり、秋のさ中ですが、まだ暑い日が続きます。帰宅の道中で、澄
み切った夜空に明るく輝く満月を見ました。中秋の名月にあたることを思い出し、
古来から、秋の満月を愛でる気持ちが良く分かりました。
先日、国立病院機構あわら病院の重症心身障がい者病棟50周年記念式典に、近
畿グループ担当理事としてお祝いの言葉を届けるために参加してきました。国立
病院機構の病院は全国に140あります。そのおよそ半分がセーフティー系の病院
です。近畿グループには20の病院がありますが、やはり半分がセーフティー系の
病院で、あわら病院はその一つです。国立病院機構の前身は国立病院ですが、そ
のルーツは、大阪医療センターのような陸軍病院や海軍病院から移行した病院群
と、結核病院から移行した病院群があります。結核は、戦時中までは猛威をふる
い、日本の死因統計では、昭和25年頃までは結核が第一位で、10万人当たり200
人を超えていた年もありました。当時の結核病院は、今のがんセンターと同じよ
うな位置づけにあったのだと思います。戦後になって抗生剤が日本でも一般市民
に使えるようになり、結核の患者数は激減しました。その結果、結核病床が不要
になってきました。
戦後、日本に平和な時代が訪れ、それに伴い社会福祉が充実してきました。国
民皆保険が実現できたのは昭和36年です。かつては重症心身障がい児は見放され、
家族がケアする以外にはなかったのですが、国民皆保険制度ができた年に、重症
心身障がい児施設が初めて作られたとの記録があります。昭和38年に重症心身障
がい児の親たちが「全国重症心身障害児(者)を守る会」を結成し活動を始めた
とのことで、その成果もあって、昭和42年に児童福祉法改正により、重症心身障
害児施設が法制化され、国立病院が制度的に重症児医療を担うようになったとの
ことです。この医療をかつての結核病院が担うようになったとの経緯です。
あわら病院の歴史を見ると、この経緯が良く分かります。昭和14年に結核医療
の拠点病院として福井県立療養所北潟臨湖園として創設され、終戦後の昭和25年
に厚生省へ移管されて国立療養所北潟病院となりました。その後、時代の要請と
ともに一般医療、重症心身障がい者療育が診療内容に加わり、昭和50年4月1日に
「わかば病棟・木の芽病棟」を開設され、重症心身障がい者病棟の歩みがスター
トしました。今年はそれから50年が経ったことを記念して今回の式典を催されま
した。平成16年からは、現在の国立病院機構あわら病院と名前を改め、重症心身
障がい者療育、神経・血液・免疫などの難病医療、そして長寿医療を中心とする
専門医療を展開されています。
あわらは福井県にあり、温泉で有名です。近畿グループの中では最北端にある
病院です。そば畑が沢山あり、昼食はお蕎麦屋さんに行き、おいしくそばをいた
だきました。近畿グループ担当理事になった当初、各病院に挨拶に伺い、その際
に病院見学をさせていただきました。私は、いろいろな病院を見てきたつもりで
したが、重症心身障がい者病棟は、この時に初めて訪問し、まったく知らなかっ
た世界で強く印象に残りました。患者さんの皆さんは、それぞれ重い障がいをお
持ちで、お話しも簡単にはできない状態ですが、職員の皆さんが笑顔で接して、
患者さんのペースに合わせて粘り強く対応されていました。患者さんというより
は、障害を持った生活者であって、病棟はそのコミュニティーの場として存在し
ていることを理解しました。
50周年記念式典では、患者会の代表の方が挨拶をされました。そのお話しが心
に残りました。こうした病院ができるまでは、重症心身障がい児の親は、診ても
らえる病院を探してさまよい、大変つらい思いをしてこられたとのことでした。
そうした中、重症心身障がい児を専門的に診てくれる病院ができた時には、本当
にうれしく、救われた思いをしましたとのことをお話しされていました。そうし
た思いの親たちが患者会を結成し、病院が良くなるように支援してくださってい
ました。今回の50周年記念式典でも、障がい者達がポスターを作成したり、手紙
を作成したりといったことをされていましたが、親も参加して援助されていまし
た。式典には患者さんである障碍者の代表者とその親も参加されていましたが、
障害者の親が子供を大切に育てておられる様子が伺えました。私達は、自分の子
供に対し、生まれる時には、ただ元気で生まれてくれさえしたら良いと思いなが
らも、無事生まれて成長してくると、良い学校に行って欲しいとか、良い成績を
とってきて欲しいとか、あれこれを期待し、その期待に沿ってくれれば良い顔を
し、かなわなければ不機嫌な顔をするといったことをしてしまっています。とこ
ろが、障がい児を持った親は、子供に何も期待せず、ただ愛情を注いでおられる
様子が、仏様を見ているような気持ちになりました。そうした方々が応援してく
ださっている病院ですので、ユートピアの世界にいるような感覚となりました。
重症心身障がい者施設は、そうした愛情深い障害児のご家族によって支えられて
いることが良く分かりました。
そうは言っても、病院スタッフの皆さんは、それぞれに負担があり、悩みをお
持ちだと思います。「多くの人の笑顔のために」を病院の方針とされていると聞
きました。実際には大変だからこそ、笑顔を得ることを方針にされたのだと思い
ます。患者さんの笑顔、ご家族の笑顔、病院スタッフの笑顔がうまく行っている
ことのバロメータになります。多くの笑顔を得るために、お互いに明るく振る舞
い、助け合う必要があるのだと思います。あわら病院の関係者の皆さんには、こ
れからも、是非がんばっていただきたいと思います。
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放射線治療のピンチ!?
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放射線治療科
田中 英一
放射線治療科の田中英一と申します。私は平成20年から大阪医療センターに勤
務しており、2度の放射線治療装置(リニアック装置)の更新に関わりました。当
院は地域がん診療連携拠点病院に指定されており、その役割にふさわしい装置を
導入しています。
国内では年間約100万人の方が新たにがんと診断され、このうち約25万人の患
者さんが受ける放射線治療。その放射線治療がピンチかもしれません。
国内では物価高騰の波が押し寄せてきています。リニアック装置も例外ではな
く、人件費の高騰、部品代の高騰などにより価格が上昇しています。多くの病院
が欧米製の装置を用いているため、円安の影響も受け、値上がり幅が尋常ではあ
りません。また、装置が高機能化することによる価格上昇もあります。最近は装
置更新にかかる費用は7億円というのが巷で噂される金額になります。さらに消
費税がなんと7千万円です。リニアック装置は10年前の2倍、20年前の4倍の価格
になっています。
厚生労働省が7月に「2040年を見据えたがん医療提供体制の均てん化・集約化
に関する参考資料」を公表しました。この中では、放射線治療の需要は今後15年
の間に24%増えるとされています。一方で、国内の放射線治療施設734施設のう
ち、年間患者数100人未満が127施設、100~200人 が216施設となっており、放射
線治療施設の一定の集約化の検討が必要となるとも述べられています。諸外国で
は1施設当たり3-5台のリニアック装置を保有していることが一般的ですが、日
本では多くの施設が1台のみと、施設が分散しているのが現状です。常勤医師が
不在で、大学病院などからの非常勤医師が週に数回のみ勤務して放射線治療をお
こなっている病院も多数あり、これも集約化が必要な理由です。
また、資料の中には、機器の高騰により収支が悪化しており、年間200名以下
の規模の病院では収益性を保つことが困難になりつつあるとあります。おそらく、
年間300名程度治療しないと黒字にならないと思われます。ちなみに当院は年間
250名程度の患者数です。
多くの病院が赤字経営に苦しむ中、放射線治療を継続することが、経済的に難
しくなりつつあります。今後は、放射線治療は集約化の方向に向かうのかもしれ
ません。現場の医療者にとっては、集約化した方がいろいろと都合は良いのです
が、患者さんの利便性は悪くなると考えられ、今後の動向に注目していただきた
いと思います。
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血液型、不規則抗体について
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臨床検査技師長
河合 健
皆さん、ご自身の血液型は何型でしょうか。日本では血液型別の性格診断や相
性などで盛り上がることも多いと思います。一般的にはA型RhD(+)のようにABO
式血液型とRh式血液型(D)のみを取り上げていますが、実際に国際輸血学会よ
り認定されているヒトの血液型は、システムとして47種類あり各システムにおけ
る表現型(抗原数)としては数百種類にもなります。
医療機関で血液型検査を実施すると、上述のようにABO式血液型とRh式血液型
(D)について調べられます。そして輸血が必要になった場合には、この2つの血
液型と同型な血液製剤を選択することになります。ABO式血液型については、生
まれながらにして既に規則抗体として抗A抗体や抗B抗体が体内で生成されてお
り、誤った血液型を輸血した場合は即時に重篤な溶血性副反応が起こることを防
ぐために同型を選択します。Rh式血液型(D)については、免疫原性(抗体を産生
させる能力)が非常に高いため抗D抗体を産生させないように予防的に同型を選
択して輸血している現状です。
他人の血液を輸血する場合では、数百種類もある全ての血液型を合致させるこ
とは不可能であり、受血者が持っていない血液型が輸血により体内へ暴露された
際、抗原抗体反応の結果としてその血液型に対する特異的な免疫抗体が産生され
ることがあります。このようにして産生された抗体が不規則抗体と総称されてい
ます。
つまり、他人からの輸血を実施するたびに血液型不適合による不規則抗体の産
生の機会が発生することになります。しかしながら、輸血のたびに必ず不規則抗
体が産生される訳ではありません。その血液型の抗原頻度や密度、免疫原性の強
弱、輸血量(抗原量)や、受血者の抗体産生能力など様々な要因によって不規則抗
体の産生は左右されます。そのような条件のもと輸血の場合は、輸血後に不規則
抗体が産生されないことを期待して実施されています。
万一、不規則抗体が産生された場合は、それ以降はABO式血液型とRh式血液型
(D)の同型を選択することに加えて、産生された不規則抗体の特異的な血液型に
ついて抗原陰性血を選択して輸血を実施することになります。
このように、輸血療法は他人の血液(細胞)を体内へ取り込むことでありいわば
移植と同様になります。安全な輸血を実践するためには、各医療機関で輸血前の
血液型や不規則抗体検査を確実に実施していくことが大切になります。
今後、医療の進歩に伴い人工血液などが臨床の場へ普及することで、輸血に伴
う血液型不適合や様々な拒絶(免疫反応)を克服できる可能性について多いに期待
しているところであります。
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看護のこころ
~心に残る看護エピソード~
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東5階病棟 副看護師長
長尾 奈穂
朝夕の秋風が心地よく、木々の葉が少しずつ色づき始める季節となりました。
皆様におかれましても日々の暮らしの中で季節の移ろいを感じておられることと
思います。
さて、私はこれまで内科病棟や外来、消化器内科病棟などで看護を経験し、こ
の4月から婦人科、乳腺外科病棟に異動となりました。女性病棟であり、結婚や
出産などを考える年齢の患者様も多く、疾患や治療に対する受け入れ方も人ぞれ
ぞれであり関わりの難しさを感じることもあります。こうした日々の看護を通し
て患者様のさまざまな思いに触れる中で、改めて「寄り添う看護」の大切さにつ
いて考えるようになりました。そこで今回は私が内科病棟で担当させていただい
たA氏との関わりについてご紹介したいと思います。
A氏は慢性閉塞性肺疾患に肺炎を併発し、呼吸不全のため気管切開を行い人工
呼吸器を継続して使用されていました。声を出せず、個室で話し相手もいないた
め、もともと話好きのA氏は「さみしい」とジェスチャー交じりで訴えておられま
した。また様々な機械や点滴のため、自由に自室から出ることができず、妻氏の
面会時以外は長い時間を病室の天井を見ながら過ごすことになり、不安を感じて
おられました。
私はA氏が少しでも安心できるように時間をつくって訪室し、筆談による会話
を試みました。はじめは「次いつ来てくれる?」と不安そうに険しい表情で問いか
けられていました。時間が許す限り訪室し、身体的ケアの実施や筆談での会話を
重ね、毎日午後から来られる妻氏の面会時には3人で話すことでA氏の表情も和
らいでいきました。妻氏は編み物が趣味であり、面会の際には自宅で作成した作
品(レース編みの巾着袋やかわいらしい人形のついたハンカチなど)を持参され、
A氏に見せてくださいました。私も一緒に作品を見ながら、筆談による会話を続
けることで、A氏にとって穏やかな時間となっていました。この時のA氏の穏やか
な笑顔や表情は今も心に残っています。
入院生活は、病気のため思うように動けず、痛みや息苦しさなどの身体的苦痛
を伴う厳しい時間であり、患者様は常に不安を感じながら過ごされています。だ
からこそ看護師が寄り添い、身体的なケアに加えて小さな会話を重ねることが患
者様の心の支えとなるのだと実感しました。これからも患者様の抱える身体的な
苦痛への援助に加え精神的に穏やかに過ごす時間が少しでも作れるよう不安をく
み取り、思いに寄り添えるように看護していきたいと思います。
ホームページ→https://osaka.hosp.go.jp/kango/index.html
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研 修 医 日 記
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研修医2年目
中井 智規
はじめまして。研修医2年目の中井智規と申します。来年度から当院の脳神経内
科に進み、神経救急をはじめ脳神経内科領域全般の研鑽を積みたいと考えていま
す。
突然ですが、映画『スター・ウォーズ』をご存知でしょうか。作中では、ライト
セーバーを手にしたジェダイたちが「マスター(師匠)」と「パダワン(弟子)」と
いう師弟関係を結び、共に成長していく姿が描かれています。この話を持ち出し
たのは、当院の魅力がまさに“背中を追いかけたいと思えるマスターとの出会い”
にあると感じているからです。
これまで約1年半の研修を通じて、私は多くの尊敬すべきマスターたちと出会い
ました。圧倒的な知識と技術で最前線の診療を担う先生、患者さんファーストの
姿勢で軽やかに行動される先生、そしてチーム全体を支えてくださるコメディカ
ルの方々。さらに、未熟な私に温かい言葉をかけてくださる患者さんにも、日々
学びと励ましをいただいています。
当院では、こうしたマスターたちが大阪・関西万博の「大屋根リング」のように
一つの環となり、診療科の垣根を越えて連携しています。私は「どんなことも土
台づくりが最も重要」と考えており、当院での研修は医師としての基盤を築くう
えでこの上ない環境だと思います。脳神経内科について言えば、脳血管障害やて
んかんなどの救急疾患はもちろん、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、多発
性硬化症といった変性疾患も幅広く経験できます。診療領域が広いだけでなく、
科内の雰囲気も良く、日々のご指導を通じて多くの学びが得られる環境が整って
おり、脳神経内科医としての第一歩を踏み出すのにこれほど恵まれた場はないと
感じています。
この日記をご覧になっている医学生の皆さんと共に働ける日を、心より楽しみに
しています。
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研 修 医 日 記
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研修医2年目
山本 真由香
研修医2年目の山本真由香と申します。早いもので、研修医生活も残すところあ
と半年となりました。2025年10月初旬現在はちょうどマッチングの登録の締め切
りの時期かと思いますので、研修病院選びについて書きたいと思います。
まず私が当院の研修を選んだ理由ですが、①研修医の雰囲気の良さ、②適度な忙
しさで仕事と自分の勉強を両立しやすい環境、の2つが主な理由でした。
①については、過去の研修医日記でも繰り返し語られている通り、穏やかで明る
い性格の人が多いことです。同期や先輩・後輩と、昼休みや勤務後に研修医ルー
ムで話したり、飲み会や遊びに行ったりすることも多く、人間関係にストレスを
感じることがほとんどありません。これは働く上で非常に大切なポイントだと日
々実感しています。
②については、当直はかなり忙しいものの、各科ローテーションは自由度が高く、
日常業務に追われすぎることはありません。経験したいことを事前に希望すれば、
必ず応えてもらえる研修環境です。希望すればオンコールや当直に入ることもで
きます。研修病院選びの際によく耳にする「ハイパー」、「ハイポ」という言葉
がありますが、当院はどちらにも振れるという点が魅力だと思います。
当院のマッチング試験は医学・英語・小論文・面接と準備が大変に思えるかもし
れませんが、個人的には楽しく充実した研修医生活を送ることができていると思
います。優柔不断な私は2年前のマッチング登録の際には他院と悩み、締め切り
直前に当院を第一志望としましたが、今振り返っても「やはりこの病院を選んで
よかった」と感じています。
拙い文を長々と書いてきましたが、少しでも興味のある方はぜひ見学に来てみて
ください。
臨床研修のホームページ→
https://osaka.hosp.go.jp/kyujin/syokikensyu/nikki/index.html
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総編集長:院長 松村 泰志
編 集 長:副院長 平尾 素宏 渋谷 博美
看護部長 水戸 祥江
編 集:池永 祐子
発 行:独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センター院長室
(〒540-0006 大阪市中央区法円坂2-1-14)
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季節の変わり目は急にやってきます。体調に気を付けてお過ごしください。
408-osaka@mail.hosp.go.jp
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