診療科・部門

前立腺がん(泌尿器科)

1.解剖 | 2.頻度 | 3.危険因子 | 4.症状 | 5.検査と診断
6.進行度・病期 | 7.治療 | 8.患者さんへ | 9.治療成績 | 10.今後の展望

1.解剖

前立腺とは
前立腺は小骨盤腔内で膀胱の出口に相当する部分に尿道をとり囲むように存在する通常くるみ大くらいの臓器で、左葉と右葉に分かれています。
またその後面は直腸と接しておりこのため直腸から前立腺の後面を触知することが可能です。
前立腺の働きは精液の一部である前立腺分泌液を分泌することです。

2.頻度

日本では人口10万人あたりの男性が1年間に前立腺癌にかかる人数は全年齢を合わせると10人程度で癌死亡の部位別順位では10位前後です。
しかし高齢化社会の到来や食事の欧米化などにともない今後その頻度は急増していくものと考えられています。
年齢別にみると、45歳以下の男性ではまれですが、50歳以降加齢とともに対数的にその頻度は増加し70歳代では10万人あたり約100人、80歳以上では200人を超えます。
このように前立腺癌は典型的な年齢依存性の癌といえるでしょう。

前立腺癌の罹患率は国別や人種差が大きく、北米がもっとも多く、ついでオーストラリア/ニュージーランド、カリブ海地域、西欧、北欧と続き、日本は北米の10分の1ほどと国際的にはその頻度は低いほうです。
また人種では黒人に一番多くついで白人、黄色人種となってます。

3.危険因子

前立腺癌の危険因子として考えられているのは脂肪の多量摂取、肥満などです。
他の癌のように喫煙との関係は否定的な報告が多いようです。また飲酒との関係も明らかではありません。
脂肪の多量摂取については、同じ日本人でもハワイ在住の日系人と日本在住の日本人の3.5倍から6倍といわれています。
このことはおそらく食事の欧米化、すなわち脂肪の多量摂取と関係しているのではないかと考えられています。
また肥満と前立腺癌の関係については特にBMI(body mass index[(体重(kg))/(身長(m))2])と前立腺癌リスクとの関係が多く報告されており、関係があるといえるでしょう。
その他活発な性活動などが前立腺癌のリスクを高めるといわれています。

一方前立腺癌のリスクを下げる要因としては、特に最近食品との関係が注目されています。
そのなかでもトマトなどに含まれるリコピン(lycopene)や豆類(とくに大豆食品)に含まれるイソフラボン(isoflavone)についてはいくつかの報告がみられます。

前立腺癌と遺伝要因との関係については、父親が前立腺癌だった場合前立腺癌発生リスクは1.65-3.77倍、兄弟の場合は2.57-3.00倍、父親、兄弟または息子のいずれかの場合は2.26-8.73 倍であり、家族歴は前立腺癌の確立したリスクファクターといえるでしょう。

4.症状

初期から中期にかけては前立腺癌に特異的な症状はありません。
大半は同時に合併する前立腺肥大症の症状、すなわち頻尿、特に夜間頻尿、排尿困難、残尿感などです。
しかしこれらの症状は必ずしも前立腺の病変がなくても加齢とともに増加するため、症状のみから前立腺癌の診断を下すことはできません。
ただ前立腺癌は前立腺の尿道から離れたところ(外腺)に発生しやすいため、尿道に近いところ(内腺)に発生する前立腺肥大症に比べ排尿障害の出現が遅れる傾向にあります。
また最近人間ドックなどで、後で述べる前立腺癌の腫瘍マーカーであるPSA の高値を指摘されて来院される患者さんも増えてきています。

前立腺癌が局所に進行した場合は、尿が出なくなったり、血尿が出てきたりします。
また排尿症状をあまり自覚しないうちに前立腺癌の骨転移のため、腰痛をきたしたり、まれには下半身マヒになることもあります。
このため整形外科から紹介されて来院される患者さんも多くいます。

5.検査と診断

まず直腸診をします。

これは先ほど述べましたように前立腺後面は直腸に接しているため、肛門から直腸の中に指をいれて前立腺の状態を指で調べる検査です。
前立腺表面の不整の有無、硬さ、痛みの有無などを検査します。
癌の場合前立腺は全体が硬くなり、表面が不整になります。
痛みは通常ありません。この検査は簡便ですが、客観性にかける部分があります。

次に採血をして先ほど述べました血中のPSAの測定をします。

PSAとは前立腺から産生される蛋白質で、前立腺癌になるとその血中濃度が高くなります。
PSAは非常に鋭敏な前立腺癌の腫瘍マーカーですが、前立腺肥大症や前立腺炎でも上昇することがあります。また直腸診だけでも上昇することがあるため、場合によっては先にPSAを測定した後、直腸診をすることもあります。

経直腸的な超音波検査も重要な検査です。

肛門より超音波の機械を入れて直腸を通して前立腺の状態を調べます。
ただしこの検査は、かなり辛いと感じられる患者さんもおられるため、場合によっては入院して麻酔をしてから、次に述べます生検と同時に行うこともあります。

必要に応じて前立腺部のMRI検査を追加し、前立腺癌の疑いがあると診断した場合は、われわれは麻酔をかけて(そのため短期入院下で)前立腺の組織を直接採取する生検を行い、顕微鏡で癌細胞があるかないかを調べます。
この検査で癌細胞が検出された場合前立腺癌と確定診断されますが、癌細胞が検出されなかったからといって完全に前立腺癌ではないと言い切れるわけではなく、定期的な診察が必要です。

前立腺癌と確定診断された患者さんは、骨盤部のMRI検査やCT検査などで前立腺癌の周辺への拡がりを見ると同時に、所属リンパ節への転移の有無を調べます。
また、骨シンチグラフィーにより前立腺癌がもっとも転移しやすい骨への転移の有無を調べます。通常これらの検査で前立腺癌の臨床病期が決まります。

6.進行度・病期

病期A(偶発癌)

癌ではなく、良性疾患(ほとんどの場合前立腺肥大症)の診断のもとに手術を受けて、切除された組織に偶然発見された癌です。

   A1: 切除された組織の5%以下でかつ高分化の癌(比較的性質のおとなしい癌)
   A2: 切除された組織の5%以上または中、低分化の癌(高分化に比べ悪性度の高い癌)

病期B(限局性癌)

前立腺内に限局している癌です。

   B0: 血中のPSAの値のみが高値で生検した結果、癌が見つかった場合
   
   B1: 片葉内に限局する最大径1.5cm以下の癌
   
   B2: 両葉にある場合または最大径が1.5cmを超える癌。

病期C(局所浸潤癌)

前立腺被膜(前立腺の外側を囲んでいる膜です)を超えて拡がっている癌。

   前立腺に隣接している精嚢、膀胱頚部へ拡がる癌も含みます。

病期D(転移性癌)

臨床的に明らかに転移がみられる癌です。

   D1: 所属リンパ節に転移している癌
   
   D2: その他のリンパ節、膀胱頚部以外の膀胱、直腸などへの浸潤、骨、肺などの臓器に転移

7.治療

●治療

大きく分けて、ホルモン療法、手術療法、放射線療法などがあります。
あと無治療で経過観察をすることもあります。
癌なのになぜ治療しなくてもいい場合があるのか不思議に思われる方もいるかとは思いますが、前立腺癌は一般的に他の癌と比べて進行が緩徐です。
またラテント癌といいまして前立腺癌以外で亡くなられた高齢者の約2割に前立腺癌があるといわれています。
つまり治療してもしなくても命には関係の無い前立腺癌があるということになります。
また高齢者に多い癌なので、合併症などに十分配慮する必要があります。
以下具体的な治療法について説明します。

1)ホルモン療法

前立腺癌の基本となる治療法です。
というのも前立腺癌のほとんどが男性ホルモンによって成長するからです。
男性ホルモンは脳の一部である下垂体というところから産生されるホルモンにより刺激を受けた精巣および副腎から分泌されます(精巣から95%、副腎から5%と言われてます)。
よってこの男性ホルモンの作用を抑えることで前立腺癌を小さくしようという治療法です。
いくつかの方法があります。
両側の精巣を取ることで男性ホルモンの分泌を抑制する方法(去勢術)、注射で男性ホルモンの産生を抑える方法(LH-RHアナログ)、男性ホルモンの働きを抑える女性ホルモンや抗男性ホルモン剤を内服する方法などです。
これらを組み合わせて治療することもあります。
この治療法は短期的に見れば非常に有効ですが、5年以内にその約半分がホルモン不応性といって、前立腺癌が男性ホルモンとは関係なく成長してしまいます。
こうなるとその治療法は非常に厄介で、今のところ有効な治療法はありません。
このため前立腺に癌が限局している場合2),3)に述べる根治的治療法が選択されます。

2)手術療法

癌が前立腺内に限局している場合に、手術により癌を取り除く方法です。
下腹部を切開し、恥骨の裏側にある前立腺を摘除し、膀胱と尿道をつなぎあわせます。
またこの時所属リンパ節に転移があるかどうかも調べます。
手術の前にホルモン療法を行うことの有効性については議論があるところですが、われわれは通常まず1)で述べたホルモン療法を3-6ヵ月行い、癌を小さくしてから手術を行うことにしています。最近は腹腔鏡を用いた手術が推奨される傾向にありますが、この方法は傷が小さいなどのメリットもありますが、開腹手術に比べて摘除範囲が不十分となりがちであり、長期成績などその評価はまだ定まっていないため、われわれはこの方法を今のところは積極的には取り入れていません。

3)放射線療法

放射線を用いて、癌細胞を殺す方法です。
通常1日1回週5日、身体の外から前立腺に放射線を照射します。
5-6週間の治療期間が必要です。
また骨転移による骨の痛みを緩和する目的で骨に照射することもあります。

4)その他

抗癌剤を使用するところもありますが、多くは無効とされています。

※病期による治療法のまとめ

病期A1
一般的には無治療で経過観察することが多いですが、比較的若年者の場合(20年以上の生存が見込まれる場合)手術療法などの根治的治療法が選択されることがあります。
病期A2,B
患者さんの年齢や合併症の有無に応じ手術療法、放射線療法、ホルモン療法などが行われます。
病期C
ホルモン療法を中心に手術療法や放射線療法を行うことがあります。
病期D1
ホルモン療法を中心に放射線療法が追加されることもあります。
病期D2
ホルモン療法が中心になります。

※治療の合併症について
1)ホルモン療法

去勢術は、男性のシンボルがなくなるという心理的な問題はありますが、手術としては安全で副作用はほとんどありません。
注射薬であるLH-RH アナログについてですが、注射後2、3日のあいだ、排尿困難、骨転移部の痛み、全身のほてりや肺炎様の症状が出ることがありますが、多くは一過性です。
しかし、定期的な注射が必要なため、通院困難な患者さんや病識のない患者さんには向かない治療法です。
抗男性ホルモン剤は、悪心、嘔吐、乳房の腫れ、痛み、肝機能障害などが出ることがあります。
多くは対症療法でコントロールできますが、出来ない場合は投薬を中止します。
女性ホルモン剤は抗男性ホルモン剤の副作用に加えて、心機能異常や血栓症などの注意すべき副作用が出ることがあります。
胸部痛や動悸、息切れ、手足のしびれなどの症状が出た場合は直ちに担当医と相談してください。命に関わることがあります。
全てのホルモン療法に言えますが、男性機能の低下、つまりインポテンツになることがあります。

2)手術療法

全身麻酔で手術時間は所属リンパ節郭清術を含めると4-5時間かかるため、それなりの体力が必要です。
また術前術後あわせて約4週間の入院が必要です。
前立腺は血流が多いところで、手術時にかなりの出血をきたすことがあります。
このため術前にあらかじめ患者さん自身の血を献血と同じように採取しておいて、手術時にこの血を返すことでなるべく輸血しないようにします。
術後早期の合併症としては、出血、リンパ液のもれ、炎症、縫合不全などがありますが、バルーン・カテーテル抜去直後に多くの患者さんで尿失禁が生じることが最も辛い合併症です。
尿失禁は通常その後消失しますが、一部の患者さんでは尿失禁が続くこともあります。
後期の合併症としては、尿失禁以外に、インポテンツ、尿道狭窄などがあります。
尿失禁については骨盤底筋群をきたえる体操や薬物療法などで対処します。
インポテンツの予防法としては、通常は前立腺とともに切除する勃起神経(前立腺周囲を走行してます)を温存する手術法があります。
ただこの部分はしばしば癌の浸潤がみられるところで、温存することで癌を取り残すこともありますのでその適応については注意が必要です。

3)放射線療法

主な副作用は膀胱、直腸障害つまり排尿時痛、血尿、直腸からの出血です。
また皮膚の炎症がおこることもあります。
多くは対処療法でコントロール可能ですが、副作用が強いときは治療を中止することもあります。
またこうした副作用が放射線をあててから2、3年後に出てくることもあります。

8.患者さんへ

前立腺癌は、他の癌と比べると比較的その進行は遅く、またホルモン療法が有効なため、比較的予後のいい癌といえます。
また高齢者に多い癌であるため、治療法の選択には、患者さんの全身状態もおおいに関与します。
つまり糖尿病や心機能障害、脳血管障害などの合併症がある場合、前立腺癌は治ったが治療の副作用で合併症が悪化して命を縮めてしまったでは意味がないわけです。
また前立腺癌の治療の結果QOLが低下してしまっても困るわけです。
それ故、治療法の選択には医学的な見地からだけではなく、患者さん自身の気持ちや家族の方とも相談して決めていく必要があります。

9.治療成績

※当科における前立腺癌の治療成績(1999年3月時点)
当科での前立腺癌についての詳細な治療成績については現在検討中です。
1986年4月以降に当科で経験した前立腺癌患者190例の1999年3月末現在の臨床病期別5年生存率および5年非再発生存率のみを提示させていただきます。

病期A: 5年生存率-97.2%, 5年非再発生存率-90.6%
病期B: 5年生存率-100%,  5年非再発生存率-91.8%
病期C: 5年生存率-60%, 5年非再発生存率-60%
病期D: 5年生存率-29.2%, 5年非再発生存率-5%

10.今後の展望

1997年にSwedenのJohanssonらが報告した研究は大きな反響を呼びました。
つまり前立腺癌と診断されても、症状の出現あるいは腫瘍マーカーであるPSA の上昇を認めるまでは積極的な治療をしなくても予後は変わらないという報告です。
もちろんこの研究成果に対する批判的な意見も多くありますが、一部に治療を必要としない前立腺癌(ラテント癌)が存在することも事実のようです。
今後遺伝子診断などで"治療を必要としない"前立腺癌の鑑別が出来ることになっていくと思います。
また今までの前立腺癌の治療については、アメリカでの治療成績がそのまま日本でも使われている傾向にありますが、アメリカ人は日本人に比べてインポテンツになることを非常に嫌うため、ホルモン療法などは避けられる傾向にあります。
今後は日本人にあった前立腺癌の治療法が開発されていくことになるでしょう。